座談会御書講義

座談会御書「顕仏未来記」(2018年1月度)

顕仏未来記タイトル

伝教大師に云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり、天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し・叡山の 一家は天台に相承し、法華宗を助けて日本に弘通す」等云云、安州の日蓮は恐くは 三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師と号く

伝教大師は「『浅い教えを信解するのは易しく、深い教えを信解するのは難しい』というのは釈尊の判別である。その浅い教えを捨て去って、深い教えに就くことこそ、丈夫(仏)の心なのである。天台大師は、釈迦仏を信じてその言葉に従い、法華宗を助けて中国で宣揚した。比叡山の一家(伝教の一門)は、天台のあとを受け継いで、法華宗を助けて日本に広めた」と述べている。安房国の日蓮は、恐れ多いことではあるが、釈尊・天台・伝教の三師のあとを受け継いで、法華宗を助けて末法に流通するのである。それゆえ、三師に日蓮一人を加えて「三国四師」と名づけるのである。

背景と大意

今回、皆さんと学んでまいります御書は、「顕仏未来記」です。

顕仏未来記とは、「仏の未来記をあらわす」と読み、「未来を予見した仏の言葉を あらわす、つまり実現する」という意味です。

仏とは、釈尊のことを表しますが、それだけではなく、日蓮大聖人の未来記という意味でもあります。

釈尊が予見した未来を、日蓮大聖人はただ一人、ことごとく実現してきました。

それは、日蓮大聖人こそが、末法の御本仏だったからであります。

では日蓮大聖人が予見した未来は、誰が実現するべきでしょうか。

一緒に考えてみましょう。

この御書の中心的な部分では、釈尊が予見した「法華経の行者は必ず難に会う」という法則を大聖人が身をもって体現されてきたことを仏説に照らし合わせながら述べられています。

大聖人の出現こそが、釈尊の未来記だったのです。

また御書の後半部分では、南無妙法蓮華経の正しい仏法が世界に広まることを宣言。

弟子に対して広宣流布を必ず実現するようにと、その実践を強調されています。

つまり、日蓮大聖人の未来記とは、広宣流布のことなんです。

広宣流布の実践とは、自分自身がお題目を唱え、人にも勧めていく、折伏の戦いをどこまでも広げて行くことであります。

広宣流布とは、全ての人を成仏させることであり、全人類の幸福です。

それが必ず、実現できる、また、実現させて行きなさい、との仰せなのであります。

解説

最初の「浅きはやすく、深きはかたし」とあるとおり、私たち凡夫は楽な方へ楽な方へと流れて行きがちです。

また信心においても、勤行唱題の実践や折伏の戦いとなると、弱い心が出てきがちです。

しかし、この弱い心からの勝利がなければ、我々に成長もなければ、幸福境涯もやってきません。

万人成仏の唯一の教えである、南無妙法蓮華経の自他共の実践をおいてほかに、幸福への道はないのです。丈夫の心とは、この弱い心に負けない心のことです。

「天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し・叡山の 一家は天台に相承し、法華宗を助けて日本に弘通す」とは、法華経を正しく宣揚してきた仏法の指導者のことを述べられている部分です。

すなわち、釈尊、天台大師、伝教大師、の三人によって日本に法華経が伝来したわけですが、この三人のあとをついで、大聖人が法華経を広めているわけですから、インドの釈尊、中国の天台、日本の伝教の三人に大聖人ご自身を加えて、三国三師のところを三国四師なんだと大宣言されております。

これはまさに、大聖人が法華経の行者であり、末法の御本仏であるとの結論を述べられた部分であります。

大聖人は、法華経の行者として、釈尊の未来記を本当のことにしました。

大聖人がご出現されなければ、釈尊は大嘘つきになるところです。

しかし、現実には大聖人の戦いにより、この予見は的中しました。

一方、大聖人の未来記は、広宣流布です。

今度は、大聖人の直系の弟子である私たちが、この予見を現実のものにしなければなりません。

私たちが実践する、今、目の前の友人を幸せにしたいという祈りと戦いは、まさに大聖人の未来記の実践に他なりません。

まとめ

私も日々の祈りのなかで、折伏戦で自分自身の殻を破ろうと決意しております。

その中で、10年来の友人を先輩に引き合わせるなど、友の幸福のために一歩前進の対話をすることができました。

さらに、対話を進めて一人でも多くの友人を入会に導けるよう真剣にお題目に取り組んでまいります。

さあ、共々に、絶対の確信をもって、友の幸福を祈り抜き、自他共の幸福境涯を築いてまいりましょう。

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