座談会御書講義

座談会御書「諸法実相抄」講義(2020年2月度)

行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし

行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。自分も行い、人をも教え導いていきなさい。行学は信心から起こる。力があるならば一文一句であっても人に語っていきなさい。

背景と大意

今回、みなさんと学んでまいります「諸法実相抄」は、日蓮大聖人が佐渡に流罪中に最蓮房という人に与えられたお手紙です。

この「諸法実相抄」では、法華経方便品に説かれる「諸法実相」の経文の意義について、最蓮房が大聖人に質問したのに対してのお返事とされています。

最蓮房は、仏法について大変学識の深い人で、大聖人が最蓮房に与えられた御書は「諸法実相抄」のほかにも「生死一大事血脈抄」や「草木成仏口決」、「祈祷抄」という仏法の奥底の法門を示された重要な御書が多いのです。

しかもこの「諸法実相抄」には、追伸に、大聖人が悟られた法門を明かした重要な書であることが強調されています。

すなわち、御書全集にして約4ページ分と短い御書でありながら、末法の仏法の正体が、網羅的に、しかも簡潔にあらわされているのが本抄なのであります。

なので、これまで創価学会では、牧口常三郎先生の時代から、数ある御書のなかでも、とくにこの「諸法実相抄」を根幹として指導をしてきている歴史があります。

さて、「諸法実相」とは何か。私たちが朝晩読誦している方便品では、この「諸法実相」という究極の仏の智慧を、「堪深無量」であり「難解難入」であると言いあらわして、賛嘆しています。

“諸法”とは、この現実世界のなかに、さまざまな姿をとってあらわれているすべての存在や現象のことです。

“実相”とは文字どおり、真実のありのままの姿のこと。

諸法がそのまま実相であるというのです。

いいかえると、大宇宙のありとあらゆる姿が、すべて、妙法蓮華経の姿であるという話です。

例えば、水が氷になったり、水蒸気になったりしても、水の実相がH2Oであることには変わりません。

人間の生命状態が地獄界とあらわれたり、菩薩界とあらわれたりしても、その実相は妙法蓮華経であり、私たちがその身のまま妙法の当体であるといえるのです。

これが「諸法実相」の意味するところなのであります。

そして「諸法実相」を象徴的にあらわしたのが「虚空会の儀式」です。

大聖人は、「諸法実相」と「虚空会の儀式」の説明をされた上で、その結論が妙法蓮華経であるということを初めて末法において説いたと宣言されます。

そのことは大聖人が末法の御本仏であることを示しています。

また、大聖人が御図顕された御本尊は、「虚空会の儀式」をあらわしたものであり、この妙法蓮華経を弘めゆく私たちは、男女に関係なく、また立場の上や下もなく、みな平等に地涌の菩薩であることを示されます。

そして我ら地涌の菩薩によって、広宣流布は必ず実現するとの御確信を述べられ、その実践は「行学の二道」に励むことであると御教示くださっています。

解説

この一節は、戸田城聖先生が御書全集の「発刊の辞」に引用された御文です。

ぜひ御書全集の最初のページを一度ご覧ください。

創価学会が広宣流布の闘争において常に読み継いできた、信心の基本であり、学会活動の羅針盤です。

成仏の根本は「信じる心」であり、この信心をより深めるために不可欠なのが、「行」と「学」の二道です。

「行」とは、自ら勤行・唱題する「自行」と、友の幸福のために折伏を行う「化他行」のこと。

「学」とは日蓮仏法を学ぶことです。

「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」とある通り、肝心なことは「行と学がなければ仏法はない」ということです。

逆に言えば、仏法とは行学を実践する人の振る舞いの中に存在するということです。

経典の中にあるわけでもなく、お寺などの建物にあるのでもなく、仏法は、大聖人の教えのままに実践する姿にこそ表れるのです。

続く御文に、「我もいたし人をも教化候へ」とある通り、自行化他の信心が具体的な戦い方です。

自分だけ信心していればよいというのは、大聖人の仏法の実践とはいえません。

自分が幸福になるのはもちろん、縁する人をも幸福にしていくのです。

「行学は信心よりをこるべく候」とは、行学を実践するために信心が根本であるとの御指南です。

この信・行・学の三つが、学会指導の基本となっているのです。

続く御文に、「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」とあります。

「力あらば」と聞いて、「私はたいして力がないから、よかった」と胸をなでおろすのは早とちりです。

自分の境遇で、自分の全力を出して、自分のもてる「力の限り」と捉えるべきでしょう。

「一文一句なりとも」ですから、「たった一言であったとして、このことを語らずにおくものか」との強い一念がなければなりません。

地涌の菩薩としての使命を自覚し、それぞれ自分にしか語れない相手の幸せを心に描いて、地道な対話に取り組んでいく姿勢。

その戦いの中にこそ、日蓮仏法の神髄があるのです。

池田先生はつづられています。

「御書は『希望の経典』である。御書を開き題目を唱えれば、生命の光が広がる。勇気が漲る。妙法の智慧が湧く。仏の力が脈打ってくる。さあ、『かたらせ給うべし』だ。はずむ命で対話に打って出よう! 語った分だけ、仏縁が結ばれ、功徳が積まれる。『行学の二道』に勇みゆくなかに、広布と人生の勝利が築かれるのだ」

まとめ

創価学会の伝統は「御書根本」であり、「大聖人直結」です。

だから、学会は世界192か国・地域に広がり、今も拡大を続けているのです。

つまりは、私たちが日々御書を学び、励ましあいながら、信仰を深めている活動こそ、広宣流布の直道なのです。

さあ、今こそは地涌の使命を自覚し、今再びの未曽有の拡大戦に怖気づくことなく、「一文一句なりともかたらせ給うべし」の心意気で、一歩前進の戦いを進めてまいりましょう。

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