南無妙法蓮華経とばかり唱えて仏になるべきこと、もっとも大切なり。信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信をもって源とす。
南無妙法蓮華経とだけ唱えて、成仏することが最も大切である。ひとえに信心の厚薄によるのである。仏法の根本は、信をもって源とする。
背景と大意
今回、みなさんと学んでまいります「日女御前御返事」は、日蓮大聖人が56歳の時、身延の地で女性門下の日女御前に宛てて認められた御書です。
日女御前は、大聖人から2編の御書を賜っていて、その内容から、ある程度年配で、かなり地位が高くて、裕福な女性であることがわかります。
難解な仏教用語もたくさん使われていることから、おそらく、学識も深く、教養もあり、しかも、信心強盛な女性であったと思われます。
さて、本抄は、別名を御本尊相貌抄と言います。
相貌とはお姿のことで、本抄には、大聖人によって顕された御本尊が、どのような姿をしているのかが詳しく述べられているからです。
大聖人は、御本尊をご自身が勝手に作ったものではないとご断言されています。
御本尊の姿は、大聖人が初めてこの世に顕したものに違いありませんが、御本尊に顕されているものは法華経によって説かれているものであり、永遠に存在しているものです。
例えば、ニュートンが発見した万有引力ですが、発見する前から引力という力は存在していたわけで、ニュートンが引力を作ったわけではないのと同じです。
御本尊には、南無妙法蓮華経の首題が中央にしたためられ、四隅には四天王、そして、釈迦と多宝如来が並んでいます。
そこに列をなして十界の衆生、すなわち、人間生命のあらゆる境涯を代表する人物が連なっていて、そこには、二乗と言われる人や女性や悪人など、成仏できないとされていた人物も含まれています。
御本尊のこのお姿は、法華経で説かれている虚空会の儀式の姿そのままです。
虚空会の儀式とは、巨大な塔が大地から出現し、全宇宙から仏が集まって、空中で行われた儀式のことです。
ここで行われた釈尊の説法では、これまでの釈尊の教えを大きく超えて、あらゆる人が仏になれることを宣言し、そのことが真実であると仏によって証明され、さらに仏とは過去・現在・未来を超越した永遠の存在であることが語られるというスーパー劇的なシーンなのです。
虚空絵の儀式では、すべての人が仏の智慧と慈悲の光に照らされて、本来のありのままの姿でありながら最も尊い姿になることができます。
御本尊は平面ですが、この虚空絵の儀式を立体的に書き顕されたお姿となっています。
つまりご本尊を拝してお題目をあげるとき、私たちは、すべての人がありのままの姿で最も尊い姿になれるという、時間を超越した永遠の儀式に連なることができるのです。
これほど尊く、ありがたいご本尊は、私たちのご本尊以外に世界中どこにもありません。
その上で、これほどありがたいご本尊ですが、本抄では、この御本尊は決してどこか別の場所にあるのではなく、お題目を唱える人の生命の中にあることがご教示されます。
なぜなら、このご本尊が顕しているのは、大聖人の生命のことであり、すべての人の生命のことだからです。
しかし、このことを信じる力がなければ、私たちは、本来の尊い姿を発現することができません。
大聖人は、この偉大なご本尊は「信心の二字」に収まっていると仰せなんです。
ここでは一緒に、強盛な信心の大切さを学んでまいりましょう。
解説
はじめに「南無妙法蓮華経とばかり唱えて仏になるべきこと、もっとも大切なり」とあります。
ご本尊に相対してお題目をあげれば、すべての人が仏になれるというのが私たちの信仰です。
もちろん仏になると言っても、仏という自分とは別の存在に変身するのではなく、ありのままの姿で自由自在の境涯を開いていくことに他なりません。
続く御文に「信心の厚薄によるべきなり」とあるのは、同じようにお題目をあげているようでも、御本尊から受けられる功徳は、信心の強弱によって差があるということです。
他の御書でも、「あなたの願いが叶うか叶わないかは、あなたの信心によるのです。全く日蓮のせいではありません」と仰せなっています。
逆に言えば、御本尊の素晴らしい功徳は、私たち自身の強い信じる力によって、厳然と現れるのです。
最後に「仏法の根本は信をもって源とす」とある通り、仏法の知恵の門に入るためには、まず信じることが必要です。
法華経では、釈尊の弟子の中で一番頭がいい、智慧第一と言われた舎利弗も、釈尊が説いていることが理解できず、成仏できませんでした。
ではどうやって、仏の知恵の境涯にたどり着いたか。
それは、信じることによって初めて法華経の智慧の門に入ることができたのです。
それを「以信得入」と言い「信を以て入ることを得たり」と読み下します。
信じることこそが、あらゆる戦いの原動力であり、私たちの活動の根幹です。
ご本尊を深く信じれば、お題目をあげる私たちの生命の中の御本尊が共鳴し、どのような状況にも勇んで立ち向かう生命力が湧き上がるのです。
まさに創価学会は、御本尊根本の信心によって、ありとあらゆる苦難や試練に立ち向かい、前進し続けてきました。
池田先生は、つづられています。
「『信』をもって歩めば、誰でも仏になれる。仏としての振る舞いで人々を支え守り導いていける。この仏道を成就するための、私たちを成仏させるための御本尊です。なんとありがたいことではありませんか。この『御本尊根本』の信心を教えてくださったのが、牧口先生、戸田先生です。『御本尊根本』の信心と実践は、創価学会の出現によって厳然と確立されました。ですから、創価学会は御本尊の無量の功徳力を引き出すことができたのです。大聖人の仰せの通りの御本尊根本の信心は、創価学会にしかありません。だから、世界広布が現実のものとなったのです」
まとめ
私たちは、最強にして最高の御本尊にお題目をあげることができるという、大変にありがたい状況にあります。
この素晴らしい御本尊様から、最高の功徳を得る方法は、強く信じることです。
日頃からの莫大な功徳の貯金が、肝心な時に、なかなか引き出せないなと思っているとしたら、もしかしたら暗証番号が違っているのかもしれませんね。
「信心」こそは、功徳の蛇口であり、一切の勝利の源泉です。
私たちは大聖人の仰せのままに、自行化他の唱題によって、最高の境涯を開きながら、同志や友と励まし合い、勇気の一歩を踏み出して参りましょう。