座談会御書講義

座談会御書「弥三郎殿御返事」講義(2023年3月度)

ただひとえに思い切るべし。今年の世間を鏡とせよ。そこばくの人の死ぬるに、今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり。これこそ宇治川を渡せし所よ。これこそ勢多を渡せし所よ。名を揚ぐるか、名をくだすかなり。

ただひとえに思い切りなさい。今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、自分が今まで生きながらえてきたのは、このことに遭うためである。これこそ宇治川を渡す所だ。これこそ勢多川を渡す所だ。名を上げるか、名を下すかである。

背景と大意

今回、みなさんと学んでまいります「弥三郎殿御返事」は、日蓮大聖人が56歳の時、身延の地で認められた御書です。

本抄は、題号にもあるとおり弥三郎という人に与えられた御書ですが、弥三郎については在家の門下という以外には詳しいことはわかっていません。

本抄最後の段に、武士に対して行われるような例えを用いて激励されているところから、武士だったのではないかと推察されています。

その弥三郎が何らかの事情で出家の念仏者と法論することになり、そのことを身延の大聖人に報告して、その対応について御指導を受けたのが本抄です。

本抄の末尾には、場合によっては弥三郎が地域の権力者のもとに出頭して弁論に立つことも想定した文言が記されており、いかに重大な事態であったかが想像されます。

本抄の構成は、大きく二段に分かれ、前段では、念仏者との法論のときに、弥三郎が主張し述べるべき内容が筋道を立てて説かれています。

後段は具体的な法論の場での折伏の仕方と法論における心構えが示されました。

また本抄は、大聖人の身延入山から3年後になる、建治3年8月の御述作です。

これは、四条金吾、池上兄弟、南条時光ら、大聖人の有力な弟子たちが難の渦中にあった時期と重なっています。

弟子たちが厳しい状況に置かれているというタイミングを鑑みると、弥三郎が直面していた事態も、おそらく個人的な事件にとどまるものではなかったのではないでしょうか。

本抄は、一門下に渾身の激励を送られながら、師匠である大聖人が戦ってきたように、弟子として勇敢に戦いなさいと教えられている一書です。

ここでは共々に、師匠とともに戦う弟子のあり方を学んで参りましょう。

解説

はじめに「ただひとえに思い切るべし」とあります。

戦いにおいては、必ず勝つと心を決めて、思い切る。

これは勝利の要諦であり、法戦における永遠の指針です。

中途半端な甘い気持ちで、広布の激戦を勝ち切ることなどできません。

勝つためには、絶対勝利の祈りと準備と行動をもって勝負に臨むこと。

そして、その根本には迷いや恐れや油断があってはならない。

「思いきるべし」とのご金言のままに「絶対に勝つ」と心に決めることです。

次に「今年の世間を鏡とせよ。そこばくの人の死ぬるに、今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり」とあります。

当時、再びの蒙古襲来に対する恐怖の中、また疫病によって多くの人の命が失われ、世間は騒然としていました。

誰もが明日をも知れぬ世の中にあって、弥三郎は生きながらえることができた。

ここでは、そのことの使命の深さをご教示くださっています。

誰しも、長い人生の中にあって「ここが勝負だ」「重大な局面だ」という戦いに直面することがあります。

この「急所」の判断を間違えれば、大事な戦いを負け戦にしてしまうかもしれません。

大聖人は、これから弥三郎が行う法論こそ、広宣流布の法戦において永遠に名を残す好機であり、重大局面であると教えられているのです。

最後の「これこそ宇治川を渡せし所よ。これこそ勢多を渡せし所よ。名を揚ぐるか、名をくだすかなり」と譬えに挙げられているのが、宇治・勢多の戦いです。

宇治川、勢多川といえば、古来、京都に攻め入る際の要の場所です。

そこを誰よりも先駆けて突破して名を挙げることこそ、武士が命を懸ける大勝負なのです。

「今こそ」、広布の突破口を開く決戦であり、自身の宿命転換の正念場なのだ、そう自ら決めて祈り、行動する時、必ず勝利の道は開かれます。

大変な戦いだからこそ、大きく変わる時と、喜んで挑んでいくのが賢者の生き方です。

一人の在家の門下の弥三郎に、大聖人は、心を砕いて、負けられない法戦の戦い方を教えてくださいました。

このお心に直結して戦ってきたのが、私たち創価学会です。

私たちが広布のために戦うならば、必ず私たちの人生は開けるのです。

池田先生は、つづられています。

「人生を懸けて悔いなき一戦に巡り合うことは幸福です。個人個人にあっても、日々の人生の戦いがあります。自身の人間革命の戦いと、広宣流布の戦いは決して別々ではない。同志と共に、学会と共に、法のため、社会のため、私たちは大切な生命の時間を使い、その一つ一つを断固と勝ち切っていくのです。それが自他共に揺るぎない幸福の境涯を開きながら、人類の平和を築く立正安国の建設に生きることになるのです」

まとめ

「名をあげる」とは、単に名声を得ることではありません。

信心の偉大さを証明する戦いであり、師匠の偉大さを宣揚する戦いでもあります。

「今こそ」地涌の使命を果たす時と心に決め、世間をアッと言わせる戦いで、師弟凱歌を勝ち飾りたい。

そのためにも唱題根本で、絶対勝利を「ただひとえに思い切り」、最高の作戦と最高の行動で、一歩一歩、勇気の対話を広げて参ろうではありませんか。

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