座談会御書講義

座談会御書「四条金吾殿御返事」講義(2018年9月度)

苦をば苦とさとり 楽をば楽とひらき 苦楽ともに思い合わせて 南無妙法蓮華経とうちとなえゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ

苦を苦と覚り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても、南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ自受法楽ではないか。ますます、強盛な信力を奮い起こしていきなさい。

背景と大意

今回、皆さんと学んでまいります御書は「四条金吾殿御返事」、またの名を「衆生所有楽御書」といいます。

衆生所有楽とは、勤行にも出てくる、寿量品の一節のことです。

衆生、すなわち全人類が、遊楽、遊びたのしむところ、という意味ですが、つまり私たちの住む世界こそ、衆生が遊び楽しむ所であるという意味になります。

四条金吾は、在家信徒の中心的存在ですが、遊び楽しむどころか、当時なかなか散々な目にあっていました。

その金吾に対して大聖人は、どんな賢人や聖人であったとしても難に遭わない人生はないのだから、よい時も悪いときも、どんな状況であってもご本尊を信じて、常に祈っていくんですよ、と厳愛の指導をしてくださっている。

というのが「衆生所有楽御書」の全容であります。

解説

まず、「苦をば苦とさとり」とあります。苦しみのない人生はありません。

生きることには必ず苦しみがついてくる。そのことを知り、受け入れた上で、悩みを見下ろすような境涯になろう、との大聖人の呼びかけです。

この世界が「衆生所有楽」つまり、遊び楽しむところだとは言っても、ただ面白おかしいだけの世界ではありません。

真実の遊楽とは、この人生の現実と厳しく対決しながら、悠々と乗りこえていくことであります。

いうなれば、悩みや苦しみがあっても、生きていること自体が楽しいという境涯。

そういう人生になるためには、お金も体の健康もあったほうがいいに違いありません。

しかし、その根本には「生命力」が絶対に必要です。

どんなに踏ん張っても気張っても、生命力がブリッと出てきたりはしません。

では、どうやって強い生命力をだすのか?

それがお題目なのです。

次に「楽をば楽とひらき」とあります。信心をしていると、よいことに恵まれることがあります。

よいことがあったとき、それにうかれてしまうのではなく、その喜びを味わいつつ感謝していける自分になれば、その喜びを次の歓喜へとつなげていけるのがこの信心です。

「苦楽ともに思い合わせて 南無妙法蓮華経とうちとなえゐさせ給へ」とあります。

苦難の時には挑戦のお題目、楽しいときには感謝のお題目です。

「うちとなえゐさせたまへ」の「ゐ」の字には、「持続」という意味が込められています。

どんな時も持続してお題目をあげ続ける。

「これあに自受法楽にあらずや」それこそ自受法楽である、とあります。

自受法楽は、「みずからほうらくをうく」と読みます。

法楽とは、簡単に言えば最高の幸福のことであり、その功徳を自身で受けることを自受法楽といいます。

つまりは、どんな時も持続してお題目をあげることこそ、最高の幸福を自ら受けることになるというのです。

ではここで、その最高の幸福「法楽」について少し考えてまいります。

経本を出してください。法華経 如来寿量品、経本の真ん中あたり、11ページの2行目。

「衆生見劫尽 大火所焼時」とあります。

これは、衆生の生命に映った苦悩の世界のことをいっています。

「衆生は世界が滅びるときがきて、大火に焼かれていると見ている」というのが凡夫がみる世界そのものです。

あー、明日からの生活どうしようか、あーあいつ腹立つけど、どついたらもっとえらいことになっ
てまうし、あーあっちが痛い、こっちがかゆい。

と、まさに苦悩と恐怖に満ちた、さながら地獄のような世界であります。ところが、その次には「我此土安穏 天人常充満」とあります。

「我がこの土は安穏にして天人つねに充満せり」さらに続いて「園林もろもろの堂閣 種々の宝でもって荘厳し 宝樹華果多くして 衆生の遊楽するところなり」ですから、まるで別世界のようですよね。

「衆生所有楽」とは、仏からみたこの世界の真実の姿なのであります。

このように、この世を「苦難と恐怖に満ちた地獄」と見るか、「衆生の遊楽するところなり」という浄土と見るかは、自分の「心」次第です。

大聖人は「地獄や浄土といっても別々に存在するわけではなく、心の善悪によって決まる」とおっしゃっています。

この「心」、地獄を浄土に変革する「心」を獲得することこそが「悟り」であり「最高の幸福」、すなわち「法楽」であります。

苦しいときも、楽しいときも、どんなときも持続してお題目をあげることで、この法楽を自ら受けることができる。お題目によって自分のいるところを浄土すなわち「遊び楽しむところ」にできる。

実は、それには一つ、秘訣があります。それが次の「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」です。

四条金吾は大聖人門下を代表する、強き強き信心の人であります。

その四条金吾にさえ、さらに「いよいよ強盛の信力を」と呼びかけられているのです。

どれほど信力が重要であるか。

まさに、この信力こそがご本尊の仏力・法力を最大限に引き出す鍵なのであります。

四条金吾は大聖人のご指導のままに信心にはげみ、やがては勝利の実証を示しました。

池田先生は次のようにご指導くださっています。

苦しきにも題目、楽しきにも題目です。題目を唱えられること自体が幸福なのです。

苦しいときは苦しいまま、題目を唱えていけばいい。必ず道は開かれる。信心で突破できない行き詰まりなど、絶対にないのだ。

まとめ

実は、私自身、何度も何度も繰り返される経済的な窮地に、またもやたたされておりまして、踏ん張っても気張っても、なんとも現実を変えられない状況になってきつつあります。

大先輩の四条金吾ほどの困難ではありませんが、だんだんと世法に流されて、仕事や生活がいよいよ行き詰ってきています。

この時に、私自身がもっとも大事にしている御書である、衆生所有楽御書を学ばせていただいたことに、大きな意味を感じています。

まさに誰よりも私こそが、今こそ、強盛の信力をいたすときと腹を決め、持続の唱題行に挑戦してまいります。

さあ、自身の悩みに閉じこもる小さな境涯をぶち破って、あの友この友と語り合いながら、池田先生のご指導のままに、広布の前進と我が人生の勝利を勝ち開いていこうではありませんか。

-座談会御書講義
-,

© 2024 御書研鑽しよう会