座談会御書講義

座談会御書「転重軽受法門」講義(2025年8月度)

涅槃経に転重軽受と申す法門あり。先業の重き今生につきずして、未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかかる重苦に値い候えば、地獄の苦しみぱっときえて死に候えば、人天・三乗・一乗の益をうること候。

涅槃経に「転重軽受」という法門がある。過去世でつくった宿業が重くて、現在の一生では消し尽くせず、未来世に地獄の苦しみを受けるはずであったものが、今世において、このような重い苦しみにあったので、地獄の苦しみもたちまちに消えて、死んだ時には、人・天の利益、声聞・縁覚・菩薩の三乗の利益、そして一仏乗の利益たる成仏の功徳を得るのです。

背景と大意

今回みなさんと学んでまいります「転重軽受法門」は、現在の千葉県あたりで信仰をしていた三人組の、太田乗明(おおたじょうみょう)、曾谷教信(そやきょうしん)、金原法橋(かなばらほっきょう)、に宛てて認められたお手紙です。

時は文永8年。この年、大聖人は50歳です。

首を斬られそうになるという、あの最悪の事態「竜の口の法難」が9月にあったばかり。

このお手紙は10月5日に認められていて、この5日後には流罪地の佐渡に向かわれるというタイミングでした。

首を切られて殺されそうになるという究極の難に遭われ、なんとか命は助かったものの、今度は一度行ったら二度と生きては帰れないと言われていた佐渡に流罪される直前。

本抄は、この仲良し三人組の誰か、または三人が大聖人の元に訪れたことに対するお手紙です。

一体どんな思いで弟子たちは大聖人のもとに馳せ参じたことでしょうか。悔しさと悲しさの中、断腸の思いで師匠にお別れを告げに来たのかもしれません。

その弟子たちの思いを汲み取って、大聖人ご自身が最も熾烈な難に立ち向かっている最中でありましたが、弟子たちへの激励のためにお手紙の筆をとられたのです。

大聖人はこの弟子たちに対して、何ゆえ大聖人やその弟子たちがこのような大きな難にあわねばならないのかについて、3つの角度から教えられています。

1つ目は、この大難は宿命転換を遂げる好機であること。

2つ目には、正法を弘めているのであれば難が起こるのは必然であること。

3つ目に、大聖人がこのように大難を受けられたのは、法華経を「身読」されているから。

大聖人が首を斬られそうになり、今度は佐渡に流罪されるという状況で、不安になっている弟子たちに、大聖人やその門下が厳しい難に遭うのは、宿命を転換するためであり、正法を弘めるゆえであり、法華経に予言された通りの難を受けているからであるとお答えになったのです。

中でも本抄の題号ともなっている「転重軽重」の法門は、苦難をはね返すことで、マイナスをチャラにするだけでなく、プラスに転換していくことのできるという、重要な法門です。

今回は、転重軽重法門を学び、日蓮大聖人が命懸けで示してくださった宿命転換、変毒為薬の信心の奥深さを一緒に学んでまいりましょう。

解説

始めに「涅槃経に転重軽受と申す法門あり」とあります。

転重軽受とは「重きを転じて軽く受く」と読み下します。

これは、未来まで続くような重い宿業の報いを、今世に法華経ゆえの苦難に遭うことで、軽く受けて消滅させることを言います。

法華経ゆえの苦難を受ければ、来世もその次も長く続くような宿業が、今世で消せる、ということ。

続く御文に「先業の重き今生につきずして、未来に地獄の苦を受くべきが」とある通り、本来は「過去の報い」が苦しみとなって未来に繋がっていくことを断ち切ることができません。

しかし、転重軽受法門はこうした苦難の意味を大きく変えます。

すなわち、日蓮大聖人の仏法はいかなる重い罪も転換できないものはないと説く「蘇生の宗教」「蘇生の教え」なのです。

続く御文には「今生にかかる重苦に値い候えば、地獄の苦しみぱっときえて」とご断言されています。

これは本抄に示されている転重軽受の法門の大変重要な部分です。

地獄の苦しみが来世まで持ち越すような重い宿業の報いがあるのが、ジワジワとだんだんと消えていくのではありません。

“いつか”ではなく“今すぐ”“直ちに”消滅するというのです。

では、なぜ、ぱっと消滅させることができるのか。

それは、十界互具の原理によります。

十界互具によって、宿業が消滅するというのを一言で簡単に説明することは難しいのですが、例えば、麻雀で言えば、手の中の牌が全部他の人の上がり牌という極限の状況でも、それを全部使って役満をつくれば、逆転勝利、みたいな。

なんとなく相続してしまった田舎の土地が、大きすぎて固定資産税ばっかり取られて困りますわ、という状況から温泉が湧き出て、むしろプラスみたいな。

大聖人の宿命転換の原理は、生命が本来持っている「仏界」を自身の胸中にあらわすことで、あらゆる困難を善に転じていけるんです。

太陽が昇れば、無数の星の光が直ちに消え去るように、仏界の生命を現せば、厳しい宿業であっても全て一瞬で消し去ることができるのです。

続く御文では、「死に候えば、人天・三乗・一乗の益をうること候」と仰せです。

ここで大事なのは、転重軽受がそのまま一生成仏への入り口であるという点です。

「人天」とは十界の人界と天界、「三乗」とは声聞・縁覚・菩薩の境地、「一乗の益」とは成仏の功徳のことです。

つまり転重軽受とは、単なる“業の清算”ではないんです。

重い業を軽く受けるだけでなく、いつどこに生まれ変わっても、人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・そして仏界の利益を得ていける。

むしろプラスなんです。

つまり大聖人の仏法における転重軽受法門とは、苦難を受けることによって、その後の地獄の苦しみが消えるだけでなく、今すぐ、この身のままで、成仏できることを意味します。

すると宿業という存在そのものの意味が変わるのです。

つまり、宿業とは単に罪の報いとしての存在だったのに、それを乗り越えれば成仏できるという、むしろプラスの存在へと変わるのです。

生きている以上、苦難のない人生はありません。信心を頑張っていても必ず苦難は起こります。

しかしその苦難こそは一生成仏のためにあるのです。

今まさに、苦難や宿命の波に押し流されそうになって苦しんでいたとして、なぜ自分がこんな目にあわなければならないのか、これほどまでに信仰しているのに、と思う気持ちが出てきてもおかしくありません。

しかし、そんな時こそ御書根本に行学を深め、戦い抜くべき時です。

宿命転換、変毒為薬を祈るところから戦いを起こしていくならば、その瞬間から宿業こそが私たちを一生成仏へと引き上げてくれる糧となるのです。

池田先生は綴っています。

「転重軽受とは、単なる”業の清算”ではありません。これまでの『悪から悪へ』の迷いの流転をとどめて、『善から善へ』の幸福の軌道に入る生命の根本的な大転換をいいます。生々世々に、人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界そして仏界の利益を得ていけるのです。すなわち、『転重軽受』は、即、『一生成仏』の大道を開く門です。言うならば、マイナスを”清算”してゼロにすることではなく、生命そのものの在り方を下降から限りない上昇へ、悪の軌道から確たる善の軌道へと、大きく方向転換することです。これが変毒為薬の妙法の力です」

まとめ

私自身も、病気、障害、貧乏の大三元、三重苦の真っ只中にあります。

しかし私の苦しむ姿からの宿命転換へのドラマを起こすことができれば、同じ状況で悩む多くの人の「苦難」を「成長への糧」にと変換できるはずです。

さあ、私たちは降りかかる苦悩を自分だけの単なる苦しみで終わらせることなく、人生を深めるかけがえのない日々にするべく、御書根本、お題目根本で戦い抜いて参ろうではありませんか。

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