座談会御書講義

座談会御書「上野殿後家尼御返事」講義(2020年7月度)

法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云々、此の釈の心は あいは葉のときよりも・なをそむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし

法華経の法門を聞くにつけて、ますます信心に励むのを、まことの道心者というのです。天台大師は「藍よりして而も青し」といわれています。この釈の意味は、藍は葉の時よりも、染めれば染めるほど、いよいよ青くなるということです。法華経は藍のようであり、修行が深いのは、藍で染め重ねるにしたがって、ますます青くなるようなものです。

背景と大意

今回、みなさんと学んでまいります「上野殿後家尼御返事」は、模範的な信徒として名を遺した南条時光のお母さんに宛てらたお手紙です。その内容から、別名を「地獄即寂光御書」といいます。

南条時光のお父さんは、時光が7歳の時に重い病気で亡くなります。

その直後に大聖人にご供養を届けた時光のお母さんに対して、嘆きや悲しみをくみ取りつつ、解きほぐすように励まされたのが本抄です。

ここではまず、別名にあります「地獄即寂光」について説明します。

大聖人は端的に、「浄土といっても地獄といっても外にあるのではありません。ただ我等の胸中にあるのです」と教えて下さっています。

そして、「これを悟るのを仏といい、これに迷うのを凡夫といいます」と述べられます。

つまり浄土も地獄も、自身の胸の中のものであって、他のどこかにあると思うのは迷いであるということ。

凡夫も仏も一体ですが、これを悟ることで仏となり、迷うなら凡夫なのです。

続いて「これを悟ることができるのが法華経です。したがって、法華経を受持する者は地獄即寂光と悟ることができるのです」と御教示くださいます。

地獄即寂光とは、法華経を持つことで、苦悩の極致である地獄界が、そのまま仏の住む常寂光土となることです。

時光のお父さんは大聖人の門下となって強盛に妙法の信仰を貫いて亡くなりました。

大聖人は時光のお父さんの生前の厚い信仰を称えられ、「生きておられた時は生の仏、今は死の仏、生死ともに仏です。即身成仏という大事の法門はこのことを説きあらわされたのです」と仰せになります。

成仏とは「仏という特別な存在に成る」ことではなく、その身に「仏界の境涯を開く」ことであり、即身成仏とは、その身のままで仏の境涯を開くことができるという、法華経の神髄の法門です。

大聖人の温かい励ましが、どれほど時光のお母さんの悲しみをいやしたか計り知れません。

大聖人が、地獄即寂光や即身成仏の法理を説かれたのは、門下の信心を深めるためであり、私たちの生命の中に仏界という究極の希望があることを教えるためです。そのことを信じることで、私たちの生命には仏界が開きます。

そして甚深の法門を聞いたことを機に、いっそうの信心に励むよう勧められています。

私たちが御書を拝し教学を学ぶ目的は、まさに、ここにあります。

仏法を聞けば聞くほど、法門を知れば知るほど、ますます求道の炎を燃やしていくのが、真実の信仰者の在り方です。

信心を深めれば深めるほど、私たちの生命は仏界の色彩に染め上げられていくからです。

本抄ではそのことを「従藍而青」という天台大師の「摩訶止観」にある言葉で表現されています。

解説

はじめに、「法華経の法門をきくにつけて」とあります。

この法門とは「即身成仏」の法理を意味します。

無茶な修行をしたり生まれ変わったりしないで、その身のままで仏になることができるという、即身成仏の法門を聞いて、「なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり」との仰せです。

甚深の法門を聞いたことを機に、いっそうの信心に励むよう勧められている。

信心は、障魔との間断なき戦いです。

大聖人が「なをなを」の言葉に託された深い思いをしっかりと感じてまいりたい。

次に「天台云く『従藍而青』云々」とあります。

「従藍而青」とは、天台大師の摩訶止観にある言葉で、「藍よりして而も青し」と読みます。

藍は、青色の染料を得るための植物ですが、藍の葉自体は、薄く青みがかった緑色です。

従藍而青

その緑色の葉を絞った液も鮮明な青ではありません。

しかし、この染料で何回も重ねて染めれば、濃い鮮やかな青色になります。

「あいは葉のときよりも・なをそむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし」との御教示の通り、私たちの仏道修行も同じです。

すなわち、大聖人の教えを学んで信心を深め、ますます修行に励んでいけば、自身の生命を仏界に染め抜くことができるのです。

藍からどれだけ深い青を引き出せるかは、私たちの信心によるものです。

逆に言えば、信力の強さで深い深い青色を引き出すこともできる。

大聖人のお手紙を拝して時光のお母さんは、どれほど勇気づけられたことでしょう。

この健気な母は後年、16歳の五男を突然に亡くします。

そして時光もまた、命に及ぶ病に侵されてしまう。

しかし、そうした宿命との戦い、魔との闘争にあっても、大聖人を求め抜いたお母さんは、勝利の姿で時光を立派な広布の後継者に育て上げることができたのです。

池田先生はつづられています。

「自身の生命にある仏と魔との闘争は、決して簡単なことではありません。魔に打ち勝つには、絶えず自行化他の題目を唱え、信心をより深く、強くしていく以外にない。ここでは、信心を深くしていくことを、『従藍而青』を通して、教えてくださっています。信心も、日々、自身の願いや目標に向かって、実践に励み、努力していくからこそ、祈りが強くなり、信心が深まるのです」

まとめ

私自身、宿命の嵐の中で、「なをなを」の思いで信心を柱に戦いを起こしています。

今年こそ経済革命、健康革命を成し遂げようと挑戦を始めたとたん、経済的にはコロナ禍によってひっ迫し、思い悩む日々の中で体調不良が顕在化するという悪循環。

お題目を日々の前進のエンジンに、現状の打開に挑戦し続けています。

ひたすらに「私をもっと広布のために役に立てる人材にならせてください」との祈りで、自身の小さい殻を打ち破ってまいります。

さあ、今こそ「いよいよ」の信心で立ち上がるとき。

自身の成長と広布拡大を祈りきって、大勝利の姿で師匠にお応えしてまいりましょう!

-座談会御書講義
-,

© 2024 御書研鑽しよう会