座談会御書講義

座談会御書「大悪大善御書」講義(2024年2月度)

大事には小瑞なし。大悪おこれば大善きたる。すでに、大謗法、国にあり。大正法、必ずひろまるべし。各々なにをかなげかせ給うべき。迦葉尊者にあらずとも、まいをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立っておどりぬべし。上行菩薩の大地よりいで給いしには、おどりてこそいで給いしか。

大事の起こる前には小さな瑞相はない。大悪が起これば大善がくる。すでに大謗法が国にある。それゆえ、大正法は必ず広まるであろう。あなたたちは何を嘆かれることがあろうか。迦葉尊者でなくても、舞を舞うべきところである。舎利弗でなくても、立って踊るべきところである。上行菩薩が大地から現れた時には、まさに踊り出られたのである。

背景と大意

今回皆さんと学んでまいります「大悪大善御書」は、いつ、誰に与えられたお手紙かは不明です。

御文の中に「各各なにをかなげかせ給うべき」と記されていることから、おそらく門下一同に宛てられたお手紙ではないかと思われます。

このような御書は断簡と呼ばれていて、長い御消息の一部なのか、これでほぼ全部なのか、定かではありません。

文永11年という説と12年という説がありますが、おそらく蒙古襲来によって社会が騒然としていたころ、また大聖人の門下に厳しい迫害が襲っていたころではないかと推察されています。

​​題号にあります大悪大善とは、大事には小さな瑞相はなく、大悪が起こったときにこそ大善がくると述べられていることから、このように呼ばれています。

ここでいわれている「大悪」と「大善」が何を意味するかについて少しだけお話しします。

大悪については、大謗法であり、国に起こっている三災七難と言われる厳しい状況、また、大聖人の門下に降りかかっていた迫害もこの大悪に含まれるでしょう。

それに対して大善とは、大正法が弘まることであり、ひいては大聖人の門下をはじめ、あらゆる仏縁が花開いて成仏し、広宣流布が実現することです。

多くの弟子が苦しんでいる時に、絶望しなくていい、むしろ喜ぶべき状況なのだと、励ましをくださった御書なのです。

苦境に立たされた時に、よし今こそ頑張ろうという元気をもらえる最高のご指導だと私は感じます。

共々に、厳しい時にこそ喜び勇んで戦いに邁進できる姿勢を学んでまいりましょう。

解説

はじめに「大事には小瑞なし」とあります。

小瑞とは、小さな瑞相のことで、瑞相とは予兆のことです。

大きな出来事が起こるからには、それなりの兆しがあるものです。

大きな出来事が起こる場合の兆しを見れば、大きな出来事が起こることは前もって知ることができます。

例えば、小雨が降る時にはじわじわと雨雲が現れて、湿度が充満した後にしとしとと降ってまいります。

ところが嵐のような大雨が降る前には、突然空の色が不気味に変わったり、大きな雷がなったりと、まるで違う予兆がありますよね。

このように、大きな出来事には、それにふさわしい予兆があるのが、この世のことわりです。

続く御文に「大悪おこれば大善きたる。すでに、大謗法、国にあり。大正法、必ずひろまるべし」とあるのは、大きな悪が起こるという予兆の後には大きな善がくることをご教示されたものです。

そして、大悪とは大謗法であり、大善とは広宣流布です。

では、なぜ大謗法が国にあることが、大正法が広まる瑞相となるのでしょうか。

大謗法によって、社会全体が騒然とし、多くの人が不安を抱え、また、大聖人の門下は厳しい迫害の中にありました。

しかし、この状況は、まさに法華経に記された通りの末法の様相であり、また法華経の行者が迫害に遭うのも全て法華経の予言の通りです。

だからこそ、今こそ、大正法を広める時なのだと、ご断言されているのです。

もちろん、あぐらをかいてのんびりとしていて、勝手に正法が広まるわけもありません。

絶好のタイミングを逃さず、張り切って戦うからこそ、結果が出るのです。

だからこその「各々なにをかなげかせ給うべき」です。

嘆いている場合ではなく、いよいよ強盛に信心を起こして戦うべき時なのです。

次に「迦葉尊者にあらずとも、まいをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立っておどりぬべし」とあります。

迦葉尊者というのは、釈尊の弟子のトップ10、十人衆のうちの一人で、欲望を制御する修行で最強だったと言われている人です。

さらにエースと呼ばれた舎利弗は智慧第一と言われておりましたが、この舎利弗も迦葉も、実は、法華経以前の教えでは成仏できないとされていました。

スーパースターと持てはやされつつ、成仏できないとされて、どれほど悔しい思いをしていたでしょうか。

しかし、迦葉も舎利弗も、法華経の教えによって仏に成ることができると知って、おどり上がって歓喜するのです。

このように思わず踊り上がった二人のように、今の厳しい状況を喜ぶべきであるというのが、本抄の教えであろうと推察されます。

また「上行菩薩の大地よりいで給いしには、おどりてこそいで給いしか」とある通り、大地より踊りでた地涌の菩薩のリーダーである上行菩薩は、末法における広宣流布を誓い、民衆救済のために喜び勇んで大地から躍り出たわけです。

この大聖人の仰せには、感傷的な悲観を打ち破って、思わず踊りを踊るように、喜び勇んで戦おうという、究極の励まし、極上の楽観主義があります。

池田先生はつづられています。

「妙法こそ、究極の『生命尊厳』『万物共生』の音声であり、『国土安穏』『世界平和』への根元の推進力であります。大聖人が、末法万年尽未来際を展望して示してくださった『立正安国』の対話の大道を、創価三代の師弟は『獅子王の心』で貫いてきました。そして今、一念三千の哲理掲げ、元初の旭日の大生命力を発揮して、『大悪おこれば大善きたる』と人類の宿命転換に挑み抜く大連帯こそ、『世界青年学会』なのであります」

まとめ

厳しい、辛い、と言っていても、状況は打開できません。

悪いことが起こっているのだから、今こそ、良いことを起こすべき時だと、舞を舞いながら、戦う。

喜び勇んで舞を舞うときに悲壮な表情は似合いません。

私たちは、厳しい環境にも笑顔を絶やさず、楽観主義で、あらゆる戦いに舞を舞うように喜び勇んで挑戦してまいりましょう。

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