座談会御書講義

座談会御書「種種御振舞御書」講義(2018年7月度)

わたうども 二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ 天台・伝教にもこへよかし、わづかの小島のぬしらがをどさんを・をぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき、仏の御使と・なのりながら・をくせんは 無下の人人なりと申しふくめぬ

わが一門のものたちは、二陣、三陣、と続いて、迦葉や阿難にも勝れ、天台や伝教をも越えなさい。わずかばかりの小島である日本の国主らが脅すのを恐れては、閻魔王の責めをどうするというのか。仏のお使いであると名乗りをあげておきながら臆するのは、話にもならない人々である。こう、弟子に申し含めたのである。

背景と大意

今回、皆さんと学んでまいります御書は「種種御振舞御書」です。

ここで言うところの「御振舞」とは、つまり大聖人ご自身による「末法の御本仏としての」お振る舞いのことであります。

立正安国論での予言が的中してから、命に及ぶさまざまな大難にあわれて、身延に入られるまでの「9年間」を大聖人ご自身が振り返られて書かれた御書であります。

ではその9年間になにがあったか。

まず他国から攻められるという立正安国論での予言が的中しましたが、幕府から教えを請われるどころかむしろ悪口を言われて迫害されます。

敵対する僧侶たちも権力者をたよって大聖人を攻撃します。

そして大聖人の首をはねようとする大事件がおこり、命は助かりましたが大聖人は佐渡へ流罪の身となります。

明日をも知れぬ流罪地では数百人の念仏の僧にからまれて法論となります。

大聖人はことごとく論破しますが、おかげで念仏僧に命を狙われ続ける日々。

今度は立正安国論での同士討ちの予言が的中し、大聖人は佐渡から鎌倉に移られます。

しかし、結局幕府は大聖人を信じず、大聖人は身延に入られることになります。

大聖人年表

こちらの年表を見ていただくと、オレンジで示した範囲のことですが、この期間の年表がどれだけ立て続けに刻まれているかがよくわかります。9年間に起こったことがこの年表全体の半分以上なのです。

この期間は言うまでもなく、大聖人のご生涯の中でもっとも重要な期間であり、この9年間のお振る舞いこそ、一切衆生を救わんとする「法華経の行者」としての“不惜身命”の闘争そのものなのです。

今回学んでまいります御書は、大聖人がこのような大難の嵐の中で、いかにして戦ってきたかを弟子たちに受け継がせようとする、師弟の闘争の指針なのであります。

解説

まず、「わたうども、二陣、三陣続きて」とあります。この戦いの第1陣目は、もちろん大聖人ご自身の先駆の戦いです。

誰もなしえなかった、末法の万民を苦悩から救う道を大聖人がただ一人切り開いてくださいました。

その戦いの様相とは、まさに不惜身命の一言です。

不惜身命とは、「身命を惜しまず」と読みます。

どんな大難にあっても身命を惜しむことなく、正法を広めていく。

大聖人は門下に対してもこの不惜身命の戦いを二陣、三陣と続いていきなさいと厳命されているのであります。

また、そうすることによって、「迦葉・阿難にも勝ぐれ 天台・伝教にもこへよかし」とのおおせです。

迦葉・阿難、とは、釈尊の弟子で、釈尊の滅後に仏法を残し伝えました。

天台・伝教とは、法華経を正しく後世に伝えた大学者であります。

大聖人は、これらの法華経の大恩人たちの名をあげて、私たちは、その後ろについていくのではない、むしろ超えていく存在なのだ、ということを教えてくださっているのです。

末法の御本仏であられる日蓮大聖人のまことの弟子であるならば、その不惜身命の二陣、三陣の戦いは、なによりも尊い。との大確信でもあります。

つづいて「わづかの小島のぬしらがをどさんを・をぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき」とあります。

「わづかの小島のぬし」とは、大聖人やその門下に厳しい迫害を加えてきている権力者たちのことです。

権力の魔性は、時に命をも脅かします。

創価学会の初代会長・牧口常三郎先生、2代会長・戸田城聖先生、第3代会長・池田大作先生を牢獄につないだのも、権力の魔性でありました。

しかし、権力者とはいっても世界、否、宇宙の規模でみるならば、所詮は「わづかの小島のぬし」でしかありません。

このような権力者からの「おどし」には断じて屈してはいけない。との大聖人の励ましです。

そして、その通りに戦ってきたのが、われらが創価学会の歴史でもあります。

「仏の御使と・なのりながら・をくせんは 無下の人人なりと申しふくめぬ」とあるとおり、私たちの戦いは臆病になっては負けです。

直接権力者との闘争ではなかったとしても、相手に何を言われるかわからない、立場が危うくなるかもしれない、人間関係がなくなってしまうかもしれない、という恐怖と隣り合わせの戦いです。

友好拡大、弘教拡大の中であらわれる敵は、そのほとんどは自分の心から現れる臆病です。

大聖人が教えてくださっている不惜身命の戦いとは、この臆病の心を徹底して俳し、何者をも恐れず信心を貫き通すことに違いありません。

池田先生は、不惜身命についてこのようにご指導されています。

「私たちにとって不惜身命とは、“恐れなく”南無妙法蓮華経をとなえ抜くことであり、世界のため、未来のため、人々のために、懸命に信心の実証を示しきっていくことに尽きるのです」

まとめ

さあ、私たちも、創価三代の師匠が真っ向から権力と戦われた不惜身命の歴史を今一度学び、師弟の大闘争の二陣、三陣の戦いを起こしていこうではありませんか。

今こそ友好拡大の絶好のチャンスです。

私自身、あの友、この友に語りかけ、臆病を配する不惜身命の戦いで、過去最高の友好拡大に取り組んでまいる決意です。

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