座談会御書講義

座談会御書「高橋殿御返事」講義(2018年12月度)

同じ米穀なれども謗法の者をやしなうは仏種をたつ命をついで弥弥強盛の敵人となる、又命をたすけて終に法華経を引き入るべき故か、又法華の行者をやしなうは慈悲の中の大慈悲の米穀なるべし、一切衆生を利益するなればなり

同じ米であっても、謗法の者を養うのは、成仏の種子を断つ働きをする者の命を永らえさせて、さらに強盛な敵人としてしまうことになる。それとも、命を助けて最終的には法華経に引き入れることになるのであろうか。また法華経の行者を養うのは、慈悲の中の大慈悲の米である。一切衆生を利益するものだからである。

背景と大意

今回、皆さんと学んでまいります御書は「高橋殿御返事」です。

日蓮大聖人が、静岡県の富士方面にいた高橋さん、という人に与えられたお手紙の一部と考えられていますが、詳細はよくわかっていません。

お米のことについて書かれているので、別名「米穀御書」とも言われています。

御執筆の時期は、各地で大聖人の弟子たちが果敢に折伏に励んでいた時期であり、特に富士地方は、日興上人の陣頭指揮で活発に布教活動をしていました。

この時に、熱原の三烈士と言われる神四郎・弥五郎・弥六郎が入信しておりまして、その翌年の弘安二年にはこの地で熱原の法難が起こる、という時代背景であります。

要するにこの時期、何かにつけて大聖人とその門下を圧迫しようとする勢力の動きが絶えずあったと思われます。

そうした状況下にもかかわらず、大聖人のもとへ人を遣わしてお米をお届けした弟子の真心に対して、大聖人は、「法華経の行者を養うお米は、一切衆生を救うお米である」とされ、「釈迦仏や地涌の菩薩が、あなたの身に入り替わられているのだろうか」と賞賛されます。

さらに「あなたの住む地域の広宣流布はあなたに任せますから、どんどん法華経を人に聞かせて折伏をすすめてください」と激励されている、という御書であります。

解説

まず、「同じ米穀なれども」とあります。

たとえ米穀の質や量が同じであったとしても、と言う意味ですが、米穀は、たまたまそのときに届けられたものがお米だったから米穀とおっしゃっているわけで、仏に供養するという意味では、米穀にかぎらず、衣服でも、住むところでも、お金であっても同じことです。

次に、「謗法の者をやしなうは仏種をたつ命をついで弥弥強盛の敵人となる」とあります。

法華経の敵を応援してしまうと、すべての人が成仏できるという法華経が広まっていくのを邪魔してしまうという、大きな罪を背負ってしまうことになります。

せっかくの真心からのご供養であったとしても、その供養の先がまちがっていては、まるで違う結果になってしまうということを教えられている部分です。

続く御文には、「又命をたすけて終に法華経を引き入るべき故か」と仰せになっています。

これは、今は法華経の敵であるような人への供養であったとしても、その人を助けることで、最終的には法華経に引き入れることもできるだろうか、という意味です。

ほうぼうは厳しく攻めなければいけませんが、すべての人を成仏させることが法華経の目的です。

ほうぼうの人をも救わんとする、大聖人のご慈悲の深さがうかがえる一文だと思います。

これに対して「又法華の行者をやしなうは慈悲の中の大慈悲の米穀なるべし、一切衆生を利益するなればなり」との仰せです。

現実に「全世界の民衆救済の戦い」をおこしている「法華経の行者」に供養することは、一切衆生、すなわち、世界中のすべて人にとってメリットがあることをしたことになる、との教えです。

それを「慈悲の中の大慈悲」と表現されているのです。

晩ご飯に家族4人で焼き肉に行けば1万6千円。

そのお金は焼き肉屋の従業員のお給料になって、私の体重が少しポチャッと増えるだけのことであります。

ところがこのお金をひとたび広布のために使うならば、全世界の人々を救う力となり、その功徳はすべて私たちの身に帰ってくる。もちろん無駄に体重も増えません。

焼き肉屋さんは法華経の敵ではありませんが、謗法のものを供養すれば、法華経の敵を助けてしまうことになり、法華経の行者を供養すれば、慈悲の中の大慈悲となる。

だから、同じ米穀であっても、誰に供養するかで大きな違いがある、ということです。

法華経の行者を支える功徳は絶大です。

言うまでもなく、大聖人の御遺命のままに、世界広布を現実にしてきたのは創価学会です。

ゆえに、それを支えている学会員の功徳は広大無辺なのであります。

池田先生はこのように語れています。

広宣流布は創価学会にしかできない。広宣流布のために出現し、不思議にも出来上がった学会です。代々の会長が筆舌に尽くせぬ苦労と犠牲で、作り上げた。名もない庶民が肉弾戦で築き上げた、民衆救済の城です。

まとめ

ご供養といえば、実は、私も日々の金銭的な苦悩の中で、右往左往している状況であります。

たとえ焼き肉屋さんの誘惑に打ち勝ったとしても、まだまだ悩みはつきません。

すべての憂いを解き放って、気持ちのいいスタートを新たにきれるように、最後まで無事故で真心のご供養をしてまいりたいと思います。

さあ、いよいよ新しい自分の歴史の幕をあける時です。

この大事な時に皆さんと共に戦える身の福運と深き使命を自覚し、ありとあらゆる全ての戦いで、完全勝利してまいる決意です。

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