座談会御書講義

座談会御書「祈禱抄」講義(2021年6月度)

大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず

大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、太陽が西から昇るようなことがあっても、法華経の行者の祈りの叶わないことは、絶対にない。

背景と大意

今回、みなさんと学んでまいります祈禱抄は、文永9年、大聖人が流罪中の佐渡で著されました。

同じく佐渡にいた最蓮房の質問に対する返事とされていましたが、詳細はわかっておらず、ご真筆も存在しないそうです。

最蓮房とは、かつては比叡山で学んだという学僧でしたが、佐渡で大聖人の弟子となった人です。

なので、最蓮房に与えられたとされる御書は、比較的に内容が難しいことが多く、仏教における専門用語もたくさん出てきます。

今回学びます祈禱抄も、ちょっと難しい方の部類の御書だと思います。

そこをあえて、簡単に内容をまとめさせていただきますね。

まず冒頭、大聖人は祈禱抄全体の結論を述べられます。

それは、あらゆる宗派による祈りも祈りにはなるが、法華経による祈りは必ず叶うと言うことです。

釈尊による法華経の会座が始まるまでは成仏できなかった、声聞・縁覚の二乗は、法華経によって成仏できました。

そのほかの菩薩や凡夫が成仏できたのも法華経のおかげです。

二乗も菩薩もその他の衆生も、釈尊が法華経を説いたことによって、成仏できたわけです。

だからこそ、この大恩に報いるため、皆、仏の前で誓願します。

法華経の行者を必ず守ると。

これらの諸天善神が法華経を行ずる者を必ず守護するので、法華経の行者の祈りが叶わないはずがない、ということになるんです。

もちろん祈禱、つまり祈りは誰でも、なんでも叶うわけではありません。

法華経の行者、つまり、広宣流布のために行動する人の祈りならば、その祈りが叶わないはずがないという意味です。

学会が真の法華経の行者の団体であることは間違いありません。

創価学会による広宣流布の活動こそが、世界に平和をもたらし、全民衆を救うのです。

学会の活動家こそが法華経の行者であり、創価の御本尊とお題目による祈りこそが、祈れば叶う、不可能を可能にする信心なのです。

祈禱抄を学ぶことで、諸天の加護を追い風に、日々法華経の行者の戦いを起こしながら、世界が抱える苦悩を私たちの祈りで払って参りましょう。

解説

拝読御文では、まず「大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも」と述べられます。

大地をさして外れる、大空をつないで結ぶ、潮の干満がなくなる、太陽が西からのぼる、これほど壮大な例えを用いてまで大聖人が強調して表現したかったこととは、「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」ということです。

ここで大事なポイントは「法華経の行者」という言葉の意味するところですよね。

法華経の行者とは、法華経をその教えの通りに実践する人のことです。

日蓮大聖人は、法華経の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」と表現されています。

法華経には、その実践を貫けば必ず厳しい迫害に遭うことが説かれており、日蓮大聖人はその通りの難を勝ち超えられた、まさに法華経の行者でした。

その大聖人が「法華経の行者」であると讃えられていたのが、弘教拡大に取り組む大聖人の門下です。

ひいては現代における法華経の行者とは、広宣流布の使命に生き抜く、私たち学会員のことと言えます。

また、法華経の行者の祈りとは、広宣流布のために行動する人の強盛な祈りのことです。

大聖人は別の御書で「叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず」とも仰せです。

いかにこの信仰に力があり諸天善神が全力で守ろうとも、強盛な信心がなければ、叶うものも叶いません。

創価学会初代会長牧口常三郎先生は、行者と信者の違いについて語り、ただひたすら祈るだけの信者ではなく、祈り行動する行者になろうと叫ばれました。

広宣流布への真剣な祈りと行動があるからこそ、あらゆる祈りが現実のものとなるのです。

例えば、一万円という紙切れには一万円の価値があるという信頼があるため、誰でも一万円分の価値と交換することができます。

しかし、この一万円という紙切れの価値を全く信じていない人がいたら、その人は一万円を財布に入れることもなく、もしかしたらゴミ箱に入れてしまうかもしれません。

また、これには一万円の価値があると信じてはいるものの、どこにも出かけずに一万円分の価値と交換しないままだったとしたら、せっかくの一万円もその効力を十分に発揮できません。

私たちの信仰は、決めて、祈って、行動する信心です。

これがないなら、せっかくの最強の祈りも効果が発揮されないのです。

ちなみに、私には、コレを買うと決めて、すぐに買いに行く、物欲という祈りがありますので、ぜひ余っている一万円があったらお譲りください。

私たちの信心には不可能を可能にする力があります。

それは自分のみの力を大きく超えた働きが、法華経の行者を守るからです。

そして、そのことを証明してきたのが、創価学会の歴史でもあります。

池田先生はつづっています。

「広宣流布のために戦う『法華経の行者』の祈りには、広大無辺の力がある。これが御本仏のお約束である。祈り抜き、祈り切る。そして行動を貫き通す時、無限の智慧が湧く。十界のいかなる衆生も諸天善神となって、仏の陣列を護りに護る。戦う題目に勝るものはない。不退の信力・行力こそ、不可能を可能にしゆく仏力・法力の原動力なのだ」

まとめ

私たちの信仰は、まさに不可能を可能にし得る信心です。

そのお題目の力を最大限に引き出すには、強盛な信心を奮い起こして、祈り、行動するしかありません。

私たちは、世界の平和と一切衆生の幸福のために、真剣に祈り、行動しゆく、現代の法華経の行者の姿のままに、広宣流布の戦いを今日も明日も一歩一歩進めて参りましょう。

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