賢人は、八風と申して八つのかぜにおかされぬを、賢人と申すなり。利い・衰え・毀れ・誉れ・称え・譏り・苦しみ・楽しみなり。おお心は、利いあるによろこばず、おとろうるになげかず等のことなり。この八風におかされぬ人をば、必ず天はまぼらせ給うなり。しかるを、ひりに主をうらみなんどし候えば、いかに申せども、天まぼり給うことなし。
賢人とは、八風といって八つの風に侵されない人をいうのである。八つの風とは、利い・衰え・毀れ・誉れ・称え・譏り・苦しみ・楽しみである。おおよその意味は利益があっても喜ばず、衰えても嘆かないなどのことである。この八風に侵されない人を、必ず諸天は守護されるのである。それなのに道理にはずれて、主君を恨んだりすれば、どんなに祈っても、諸天が守護されることはないのである。
背景と大意
今回、みなさんと学んでまいります「四条金吾殿御返事」は、日蓮大聖人が身延の地で著されたお手紙です。
お手紙をいただいたのは、鎌倉の四条金吾です。
内容が、賢人がおかされないという八風について説かれているところから、別名を八風抄ともいわれています。
日蓮大聖人が佐渡から帰還された文永11年に、四条金吾は、親の代から支えている主君である、江間氏に大聖人の信心を勧めます。
しかし、江間氏は日蓮大聖人と敵対していた極楽寺良観の信奉者だったため、江間氏は四条金吾のことを遠ざけるようになってしまいました。
当時の侍にとって主君というのは単なる上司という立場ではなく、命すら左右できる存在です。
その主君にたてついた形になってしまったのです。
主君思いの四条金吾に対して、江間氏からの信頼も厚かっただけに、同僚の家臣の中には、金吾を妬んで、主君に金吾の悪口をいう人もいました。
そのせいか、この2年後には、給料を減らされて、さらに地方に領地替えをするという厳しい命令がくだります。
更に、その翌年になると、領地替えを不服として承諾しなかった金吾に対し、主君の命令に従わないなら、領地を全て没収すべきであると進言するものが現れて、四条金吾はいよいよ窮地においこまれます。
そこで金吾は、その事情を身延の大聖人のもとに報告するとともに、この財産没収の件について主君を訴えようと考えていることを伝えます。
その報告に対して大聖人は、長年にわたっての恩がある主君と争うことは良くない、恨んではいけない、と諭されます。
得意になって喜んだり、また失意にあって嘆いたりするのではなく、八風に犯されない賢人として、信心強盛に、主君に仕えるならば、かならず諸天は守護するとの激励です。
いかなる時も、仏法者らしく堂々と振る舞う、賢人の境涯について一緒に学んで参りましょう。
解説
始めに「賢人は、八風と申して八つのかぜにおかされぬを、賢人と申すなり」とあります。
ここでいう賢人とは、専門的な各分野における知識と経験が豊富な人をさす賢人とは違います。
大聖人の仰る賢人とは、自分のことをしっかりと見つめ、外からの影響に惑わされて、迷ってしまうことのない人のことをいいます。
具体的には八風という八つのかぜに侵されない人を指します。
それが次の「利い・衰え・毀れ・誉れ・称え・譏り・苦しみ・楽しみなり」とある部分で、八つの風とは、四つのいいことと四つの悪いことの、合わせて8つの人の心を動揺させる働きのことです。
続く御文に「おお心は、利いあるによろこばず、おとろうるになげかず等のことなり」とある通り、目先の利害や損得に振り回されず、心を保つことができる人を賢人と言うということです。
ただし、八風におかされてはならないからといって、外からやってくるあらゆる影響を、まったく受けずに生きていくことはできません。
また、八風に負けまいと、堅く心を閉ざしていくというのも、味気ない人生になっていくことでしょう。
八風に侵されないということは、何も消極的に生きるということではないのです。
次に「この八風におかされぬ人をば、必ず天はまぼらせ給うなり」とある通り、八風に侵されない賢人を諸天が守護するとのご断言です。
追い風に乗っていける順風の時も、向かい風襲いかかってくる逆風の時も、大きく左右されない自分を確立できれば、諸天が守護してくれる。
諸天が守護するということは、外からの影響を順風であれ逆風であれ、自分の味方にすることができるということです。
最後に「しかるを、ひりに主をうらみなんどし候えば、いかに申せども、天まぼり給うことなし」とあるのは、道理に反するようなことをしてしまえば、せっかくの諸天の加護も失ってしまうとの厳しい仰せです。
仏法は道理です。
道理に背けば、諸天の守護は受けられません。
逆に言えば、八風に侵されなければ、賢人となって、諸天が守護することは間違いありません。
池田先生はつづっています。
「八風に侵されない『賢人』の生き方とは、別の言い方をすれば『負けない人』の異名ともいえるでしょう。学会が、大難の連続の中、なぜこれだけの大発展を遂げることができたのか。それは、尊きわが学会員の皆様が八風に動じることなく、まっすぐな信心を貫き、断じて負けない人生を歩まれてきたからにほかなりません。だから、諸天からも厳然と守られたのです。『負けじ魂』です。負けないことが人生勝利の最大の要諦といっても過言ではありません。途中はどんなに辛く苦しくとも、へこたれない。あきらめない。粘り強く歩みを進めた人が、最後には必ず勝つのです」
まとめ
八風は意外と身近にあって、いつその風に巻き込まれるかはわかりません。
しかし、我が使命は広宣流布に生き抜くことと決める中で、一喜一憂しない賢人の戦いができるのではないでしょうか。
私たちは「負けじ魂」を燃やしながら、堂々と賢人の戦いで八風を押し返し、信心根本に今日も前進してまいろうではありませんか。