その国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ。「仏種は縁より起こる。この故に一乗を説く」なるべし。
その国の仏法流布は、あなたにお任せします。「仏種は縁によって起こる。そのゆえに一乗を説く」のである。
背景と大意
今回、みなさんと学んでまいります「高橋殿御返事」は、静岡県あたりの門下の中心的な人物だった人に与えられたのではないか、とされている御書です。
本抄は、お手紙の一部だけが残されている「断簡」であるため、実際には、いつ、だれに宛てられた御書であるか不明です。
一説には、高橋六郎入道に宛てられた御消息だと推定されていたことから高橋殿御返事とされています。
また、米穀について述べられているので「米穀御書」とも呼ばれています。
本抄では、この人物が大聖人に米を御供養申し上げたことに関連して、その尊さを述べて讃えられ、米の働きは、人の生命を支え、寿命を保たせることにあるのだから、とても素晴らしいことだと述べられています。
さらに大聖人は、地域の主体者として、弟子に使命と誇りを持つように励まされています。
また法華経を聞かせることが、原因となって、成仏への道が開けることを強調され、日蓮大聖人の仏法を教え広げることを託されています。
このお手紙を受け取ったのが高橋さんかどうかはわかりませんが「あなたの地域の広宣流布はあなたに任せました」と師匠である大聖人から伝えられて、奮起しない弟子はいません。
逆に言えば、自分がサボってしまえば、それだけ広宣流布が停滞し、後退してしまうことになってしまいます。
今こそ責任者として立ちあがろうと思ったに違いありません。
また、注目したいのは、日蓮大聖人が一対一の励ましの中で、あなたの使命を全うしましょうと、励まされている点です。
弟子の一人一人に心を砕かれて、どう伝えれば、この人が奮起するだろうかと、熟慮された上での激励ではなかっただろうかと思います。
1人を徹して励ます大聖人の心配りと、それを受け取った弟子の、師匠に応えてみせるという思いをともどもに学んでまいりましょう。
解説
始めに「その国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」とあります。
その国とは、門下が住んでいた地域一体のことです。
現代でいえば、職場や家庭など自分が関わっているところという意味と捉えられます。
日蓮大聖人が目指しておられるのは、全世界広宣流布であり、世界中が平和であることです。
しかし、大聖人お1人が世界中を常に見回って、全ての人を励まし続けることは、事実上難しい。
この御文からは、大聖人は一人一人の弟子に、全幅の信頼でそれぞれの地域を任せることで、広宣流布を達成されるお考えだったと拝されます。
同じような表現は、阿仏房という弟子に対しても「阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし」との御文にもあり、遠方の地を往復することが簡単でなかった時代に、いかに弟子を信頼し、励ますかを大聖人が重要とされていたことを拝察することができます。
この地域の広宣流布を担うのは、他の誰でもなく自分である、と師匠から言い渡された弟子が、どれほど強く使命を自覚したことでしょうか。
現代の私たちも、まさに「その国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」と大聖人から直接、使命を賜ったのだと自覚することで、あらゆる戦いを「自分事」とし、率先垂範の行動ができるのではないでしょうか。
では「その国の広宣流布」を任された私たちは、具体的にはどうしたらいいのでしょうか。
続く御文に、「「仏種は縁より起こる。この故に一乗を説く」なるべし」とあります。
「仏種は縁より起こる」とは法華経「方便品」にある文の解釈で、仏の種、仏種はある条件によって芽を出す、という意味です。
では、その条件とは何か。
それが、「この故に一乗を説く」なるべし」です。
大聖人の仏法を説く、即ち、相手の耳に入れることで、「縁」を作ることができるとの仰せです。
説くというのは、伝えることであり、対話です。
説き伏せるわけでもへし折るわけでもありません。
伝えるということです。
つまり、対話の中でこそ、広宣流布は進むということです。
私たちは、日蓮大聖人から「その国の広宣流布」を託された以上は、対話で、仏縁を広げて行くしかないのです。
池田先生はつづっています。
「『一乗を説く』とは、仏種を触発する真実を語っていくことともいえます。民衆の真の幸福の実現こそ、大聖人の仏法の根本目的です。万人の尊厳を徹底して説き明かした人間主義の仏法が、今ほど希求されている時代はありません。一人一人の仏の生命を触発する人間主義の対話こそ、私たちが大聖人から直接、託された大聖業であるとの大確信で進んでいきたい。わが使命を晴れやかに自覚し、地域の人々の繁栄を願って、勇んで足を運んでいきたい。地味なようでも、私たちの一対一の『対話の拡大』こそが、『幸福の拡大』を実現し、『民衆勝利の拡大』を築き上げていく確かな道だからです」
まとめ
私たちは、一人一人が「その国の広宣流布」を任された使命ある人材です。
誰に言われたわけでなくても、日蓮大聖人から託されたのだと自覚し、常に「民衆勝利の拡大」の戦いの最前線で自らの使命を全うしてまいりましょう。