座談会御書講義

座談会御書「佐渡御書」講義(2022年10月度)

畜生の心は、弱きをおどし、強きをおそる。当世の学者等は畜生のごとし。智者の弱きをあなずり、王法の邪をおそる。諛臣と申すはこれなり。強敵を伏して始めて力士をしる。悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は、師子王のごとくなる心を持てる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮がごとし。これおごれるにはあらず。正法を惜しむ心の強盛なるべし。 

畜生の心は、弱いものを脅し、強いものを恐れる。今の世の僧たちは、畜生のようなものである。智者の立場が弱いことを侮り、王の邪悪な力を恐れている。こびへつらう臣下とは、このような者をいうのである。強敵を倒して、はじめて、力ある者であるとわかる。悪王が正法を破ろうとし、邪法の僧らがその味方をして、智者をなきものにしようとする時は、師子王の心を持つ者が必ず仏になるのである。例を挙げれば、日蓮である。これはおごりによるものではない。正法を惜しむ心が強盛だからである。

背景と大意

今回、みなさんと学んでまいります「佐渡御書」は、日蓮大聖人が51歳の時に流罪地の佐渡で認められた御書です。

池田先生は「勝利の教典『御書』に学ぶ」で、「佐渡御書」を最初の題材に選ばれて、「『佐渡御書』は、いわば『創価学会の御書』と申し上げても、過言ではありません」と記されております。

理由は、創価学会とは師子王の陣列であり、本抄はこの師子王の心をご教示いただいている御書だからです。

当時、日蓮大聖人は、流罪地の佐渡に渡られ、人里離れた墓地の中の荒れ果てた三昧堂と言うボロ小屋で過ごされ、そこで厳しい寒さと飢えに耐えておられていました。

また大聖人への迫害は門下にも及び、大聖人の弟子たちは投獄や財産の没収などと、次々に処罰されていきます。

動揺する弟子たちを迷わせまいと、大聖人は佐渡に渡られてすぐに長文のお手紙をお認めになり、文永9年の2月に門下一同に送られます。

それがかの有名な開目抄です。

開目抄では日蓮大聖人ご自身が末法のご本仏であられることを宣言されるなど、当時の門下のみならず、私たちにとっても大変重要な書の一つです。

その2月に「二月騒動」とも「北条時輔の乱」ともいわれる内乱が起きたことが大聖人に知らされます。

この内乱は、日蓮大聖人が以前から立正安国論で予言されていた、自界叛逆難の的中を意味します。

そこで佐渡御書をお認めになったと言うのが本抄の背景です。

本抄の最初には、まず富木常忍、四条金吾など信徒の中心的存在の人々に読ませ、本抄の趣旨が全門下に伝わるよう御配慮された文章が書かれています。

また追伸にも「佐渡の国には紙がないうえに、一人一人に手紙を送るのは難しく、また一人でももれてはいけない。この手紙を志のある人々は寄り合って読み、よく理解して心を慰めなさい」と付け加えられています。

大聖人ご自身が命の危険を感じるような厳しい状況にありながら、迫害に耐えている門下一人一人に対して、慈愛の眼を向けていらっしゃることが、ひしひしと伝わってきます。

今回拝読する箇所は本抄全体の前半、これまで権力の魔性に対して師子王の心で打ち破ってきた日蓮大聖人のように、弟子たちにも師弟不二の闘争を呼びかけられた重要な部分です。

一緒に、勇気の心と行動で困難に立ち向かう信心を学んでまいりましょう。

解説

はじめの「畜生の心は、弱きをおどし、強きをおそる。当世の学者等は畜生のごとし」とは、正義を嫉み、弾圧しようとする末法の社会的様相を明らかにされた個所です。

当時、諸宗の僧らは、権力者と結託して日蓮大聖人を亡き者にしようとしていました。

ここで言う「畜生の心」とは、当時の諸宗の僧らの本質を指しています。

竜の口法難や佐渡流罪は、まさにそうした諸宗の僧らと権力者による宗教弾圧でした。

大聖人はこのような迫害の構図を明らかにされた上で、「智者の弱きをあなずり、王法の邪をおそる。諛臣と申すはこれなり」と仰せです。

かれらは「本当の智者」を侮辱し、権力の邪悪な力を恐れていたのです。

これが、大聖人一門の大弾圧を生んだ、当時の日本社会の精神土壌でした。

しかし大聖人は、「強敵を伏して始めて力士をしる」とされ、手強い敵を倒してこそ、真に力のある者であると、この大難を厳然と受けて立たれたのです。

強敵と戦い勝ってこそ、はじめて勇気と力のあることが知られるように、苦難に直面したときに、本当の信心が現れるものです。

悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は、師子王のごとくなる心を持てる者、必ず仏になるべし」とある通り、何ものをも恐れない師子王のような心をもって、正法を破る悪王や邪義の僧らの魔軍と闘うならば、必ず成仏できるとの仰せです。

続く御文に「例せば日蓮がごとし」とある通り、大聖人は、まさに師子王のお姿であられました。

轟然たる迫害の嵐の「時」に、大聖人は一歩も退かずに「師子王の心」で挑まれたのです。

「畜生の心」を悠然と見下ろし、打ち破るのが「師子王の心」です。

仏法でいう「師子王」とは、仏の異名であり、この心で立ち上がる人こそが、必ず仏になるのです。

いざ強敵に出会った途端に、急にお腹が痛くなって逃げ出すような、偽りの信心では、師子王とは言えません。

これおごれるにはあらず。正法を惜しむ心の強盛なるべし」とある通り、わが命よりも「正法を惜しむ心」が強いからこそ、何も恐れることないと言う、本物の勇気が持てます。

師匠である日蓮大聖人が一切の魔軍を打ち破ったように、弟子にも「師子王の心」を取り出して、師とともに、師と同じ覚悟で立ち上がれと、師弟不二の闘争を呼びかけられているのです。

池田先生はつづられています。

「『師子王の心』とは最高の勇気です。そして、勇気を奮い起こした生命に現れる本源的生命力です。この力こそ勝利の源泉です。勝ちきっていくには、『師子王の心』を満々と現す以外にない。強敵にも、大難にも、恐れずに、また退かずに、勇気の信心を奮い起こして立ち向かっていくのです。大聖人は『師子王の心を取り出せ!』と呼びかけられています。ここに仏法の真骨頂とも言うべき重要な観点があります」

まとめ

本抄に大聖人が込められた精神は、決して昔話ではなく、自分の身に当てはめて考えることが大切です。

例え厳しい無理解に出会ったり、悪口を言われたりしたとしても、師子王の心で、恐れることなく立ち向かって参りたい。

そして、信心根本の生き方の正しさを証明し、師弟勝利の凱歌を共々に満天下に轟かせていきましょう。

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