座談会御書講義

座談会御書「兵衛志殿御返事」講義(2020年3月度)

しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障りいできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり

潮が引く時と満ちる時、月の出る時と入る時、また夏と秋と冬と春との季節の境目には、必ずそれまでとは相違することがある。凡夫が仏になる時も、また同じである。必ず三障四魔という妨げが出てくるが、その時、賢者は喜び、愚者は退くのである。

背景と大意

今回、みなさんと学んでまいります「兵衛志殿御返事」は、日蓮大聖人が身延の地で、池上兄弟の弟くんである宗長に送られたお手紙です。

池上家は、鎌倉幕府に仕えていた武士で、土木や建築をつかさどる相当な身分の家柄でした。

池上兄弟は、大聖人が立宗宣言をされて数年後の入信と伝えられており、四条金吾や富木常忍、南条時光などと並び称されるような模範的な信徒です。

ところが、兄弟の父親は、極楽寺良観を信奉していたため、息子たちの信仰に大反対。

2度にわたって兄弟のうちの兄を勘当します。

勘当というのは、家督相続権を失うことを意味し、社会的な破滅につながる一大事です。

長男が勘当されたということは、弟が信仰さえ捨てれば、家督相続権を譲り受けることができます。

兄弟の信心と団結を揺さぶる卑劣な策略と言えるでしょう。

1度目の勘当の時に、大聖人がしたためられたのが「兄弟抄」という御書です。

兄弟とその夫人たちは、大聖人の御指導通りに団結して戦い、一度は勘当をゆるされました。

しかし、父は再びお兄ちゃんの宗仲を勘当します。

おそらく極楽寺良観の働きかけがあったのでしょう。

その知らせを受けた大聖人が、弟くんの宗長に宛てて送られたのが本抄です。

まさかの再びの勘当ですが、これに対してお兄ちゃんは、何があろうと大聖人の弟子として信仰を貫く覚悟を決めていました。

しかし、一方の弟くん宗長がどう振る舞うか。

ここに、今回の問題解決の焦点があると、大聖人は御覧になられていたのです。

宗長は信心と池上家、また信仰と世間体との板挟みの状態で悩んでいたに違いありません。

例えば、お兄ちゃんが家を出て、弟も家を出てしまえば、幕府から任された池上家の職務を、誰も継がなくなり、途絶えてしまうことになります。

それでは、父に対しても、また世間対しても、あまりに申し訳がない。

本抄では冒頭、悩み苦しんでいるであろう宗長に「あなたのために一番大事なことを申しましょう」と前置きして、「親に従うことが正しくない時は、従わずにいさめるのが真実の親孝行ですよ」と教えられます。

本抄で大聖人は何度も宗長を厳しくいさめられます。

「あなたは退転するだろう。その時、地獄で日蓮を恨まないように」

「あなたは目前のことにとらわれた浅はかな考えから父親につくだろう。そうすれば、ものの道理が分からない世間の人々はそれをほめるだろう」

「どう考えても、今度、あなたはきっと退転するにちがいない」

「このように言っても、むだな手紙になるであろうと思うと、書くのも気が進まないが、後々に思いだすために記しておこう」

言うまでもなく、これは、宗長を突き放しているのではありません。

どこまでも真剣に宗長の奮起を願われてのことです。

門下との強い心の絆があればこそ、徹して厳しく表現されているものと拝されます。

その証拠に、一方では「思い切れ」「言い切れ」「申し切れ」「よくよく思い切れ」とたたみかけるように「勇気」と「覚悟」をもって魔とたたかい抜くように教えられているのです。

解説

まず初めに、「しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違することあり」とあります。

現代では、月が出ようが出まいが大きな違いはないようでもありますが、夜を照らす明かりが月か星かしかない時代には月が出たり入ったりすることは大きな変化だったのです。

ここで大聖人が伝えようとしている原則は「境目には変化がある」ということです。

では、仏道修行する私たちにとっての「境目と変化」とは何か。

続く御文に「凡夫の仏になる又かくのごとし」とあります。

私たち凡夫が自らを仏であることを悟るには、その間に境目があって、大きな変化が存在するということです。

「三障四魔と申す障りいできたれば」とある通り、その境目には三障四魔が出てくるのです。

三障四魔とは信心修行を妨げる働きで、さまざまな形で紛らわしく現れる邪魔のことです。

この三障四魔に紛動されたり、あるいは従ったり、恐れたりすれば、一生成仏の道を歩むことはできません。

この妨げを乗り越えることができれば、成仏の道は開かれます。

だから、「賢者はよろこび愚者は退くこれなり」なのであります。

反対に言えば、三障四魔が競わない信心は、本物ではありません。

創価学会初代会長・牧口常三郎先生は「魔が起るか起らないかで信者と行者の区別がわかる」と指導されました。

また第2代会長・戸田城聖先生は「三類の強敵と戦い抜き、三障四魔を断破していくなかに、真の大利益・人間革命の真髄がある」とのお言葉を身をもって証明されています。

そして3代会長池田大作先生は「関西での激しい大闘争の渦中に、私は愛する同志と共に、『賢者はよろこび愚者は退くこれなり』の御文を心肝に染めました。私たちは今こそ、賢者として立ち上がるのだ」と獅子吼されています。

自ら進んで菩薩行を行うことで魔の働き駆り出す。その魔を克服することで、信仰を深め、無量の功徳を積み、変毒為薬を実現し、最高の幸福境涯を確立することができる。これが創価3代の会長のご指導です。

こうして、魔と戦い、魔を打ち破る日蓮大聖人の仏法の実践は、学会の信心の中に厳然と受け継がれているのです。

池田先生は、「魔と戦う時に大事なことは、第1に『題目』です。自分の仏の境涯が躍動すれば、魔に打ち勝つことができます。そして、第2に『和合僧』の世界に入ることです」と指導されています。

お題目が魔との戦いのエネルギーであることは言うまでもありません。

そして私たちは創価学会という和合僧にあって、一人一人の苦悩に対して皆でお題目と励ましを送りあうことができるのです。

いつ何時、三障四魔が紛然とあらわれようとも、「大きく変わる絶好のチャンス」ととらえて、喜び勇んで戦ってまいろうではありませんか。

池田先生はつづられています。

「三障四魔について、戸田先生は幾度も語られました。
三障四魔が出来するということは、小さな功徳の山から、成仏という大境涯の山に登る際の谷間に生ずる生命の鍛錬である、ということを打ちこんでくださったのです。
大切なのは、三障四魔の捉え方です。『これは、自分が呼び起こした障魔だ!』と自覚することです。
一見、障魔から攻め込まれているように思うことがあるかもしれない。しかし本質は逆です。私たちが自ら勇んで成仏の峰に挑んだがゆえに、障魔が競い起こったのです。魔が競うのは、正法である証しです」

まとめ

池上兄弟は、団結第一で勝利しました。勘当が解け、最後は父親が入信します。

私たちも最後は必ず勝つと決めて、どこまでも唱題根本に、あらゆる三障四魔を打ち破り、幸福勝利の人生を歩みぬいて参りたい。

さあ、3・16から池田先生の会長就任60周年の5・3に向けて、広布拡大の戦いを一歩もゆるめることなく、威風も堂々と、大前進していこうではありませんか。

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