妙と申す事は開と云う事なり 世間に財を積める蔵に鑰なければ開く事かたし 開かざれば蔵の内の財を見ず
妙とは、開くということである。世間の例えで言えば、財宝を積んである蔵も、鍵がなければ開くことはできない。開かなければ蔵の中の財宝を見ることはできないのである。
背景と大意
今回、みなさんと学んでまいりますのは「法華経題目抄」です。
この書を与えれられた人物については詳しいことはわかっていませんが、強く念仏の信仰に執着のあった女性だと思われます。
大聖人は、この一人の女性のことをなんとか法華経で救いだしたいと、わかりやすい対話形式の文章を用いながら順々と諭されていきます。御書全集にして9ページ分ですから、そうとうな文章量です。大聖人がいかに一人を大事にされ、いかに一女性の救済に真剣に取り組まれていたかがよく分かります。
「法華経題目抄」は、その題号の通り、南無妙法蓮華の題目の偉大さ、それにめぐり合うことの困難さ、そして、現実として私たちを救うことのできる力を示された御書です。具体的には、なぜお題目に功徳があるのか、どうしたらその功徳をいだけるのかについて、詳しく書かれています。
大聖人は、南無妙法蓮華経の意味も理解せずに唱えることに功徳があるといえるのか、という問いを立てられ、「いかにもそのとおりである」と御断言されています。
昔は、よくテレビの例えをお話されたのですが、ここでは現代的に例えますと、スマートフォンでなぜ通話ができ、複雑なアプリが使えるかの理屈は全然わからなかったとしても、私たちはもちろん、小さなこどもたちまでスマートフォンを堪能に使えます。
別に理論を完璧に理解ができないからといって、それを享受できない、ということはないのです。南無妙法蓮華経のお題目にはすべての法を収めたという究極の功徳があるので、そのことを完全に理解していなくても、功徳を得ることはできるのです。
では、その功徳を引き出す方法とは何か?
それは、南無妙法蓮華経の題目を信じることです。逆に信心がなければ、たとえ膨大な経典をすべて理解していたとしても、功徳はありません。信心こそが、門を開くカギであり、その実践の根本は唱題なのです。
そして御書では、「妙」の字に込められた三つの意義を明かされていきます。
三つの意義とは、閉ざされていた仏の真意を開くという意味の「開の義」、あらゆる功徳が入っていて全ての人を成仏させることができるという意味の「具足・円満の義」、これまでの教えでは成仏できなかった人すらも救うことができるという意味の「蘇生の義」です。これを「妙の三義」といいます。
さらに本抄では、「蘇生の儀」において、法華経以前の教えでは成仏できなかった女性が、蘇生し成仏できるようになったことを重ねて強調され、法華経以前の教えであるところの念仏信仰をどれだけ頑張っても救われないことを諭され、速やかに心を翻しなさいとして本抄を結ばれています。
あえて簡単に本抄全体を一言でまとめますと、「南無妙法蓮華経のお題目は、あらゆる人を救うことのできる偉大な功徳があるので、たとえその全てを理解できなかったとしても疑うことなく“信じる心”で唱題を実践するなら、必ず成仏することができます」という御書です。
解説
まず始めに、「妙と申す事は開と云う事なり」とあります。「開」というのは、隠されていたものが見える状態になることを言っていて、要するに法華経によって以前の教えでは隠されていた妙法が明かされたことを「開く」と表現しているわけですが、この「開く」という考え方にこそ、日蓮仏法の奥深さがあります。
「開く」という道理を理解していないうちは、仏法のご利益をまるで「タナからボタ餅」のようにとらえたり、弱い者が頼るおすがり信仰のように思ってしまいがちです。しかし、私たちが信仰する日蓮仏法のご利益は、自らの強い信仰によって自らの手で開き、自らの手で掴みとるものです。
単なる他力本願でもありませんし、傲慢に自分の力だけを頼みにするような生き方でもありません。もともと自分の中に備わっている仏界の生命を、お題目の力によって開くことで、あらゆる困難にも負けない境涯を築いていけるのです。
続いて、「世間に財を積める蔵に鑰なければ開く事かたし 開かざれば蔵の内の財を見ず」とあります。どんなにすばらしい財の積まれた蔵が目の前にあったとしても、その蔵を開くカギがなければ、見ることも取り出すこともできません。
言葉の上での解釈では、このカギとは法華経のことであり、法華経が説かれたことによって初めて法華経以前の「諸教」の蔵が開いて「妙法」という財を見ることができたとの仰せであります。
しかし、これを信仰という面でとらえるなら、この財とは人間生命に秘められた仏性のことであり、この蔵を開くカギとは、信心のことです。蔵を開くことができれば、財を我が物とすることができます。つまり、信心とお題目によって仏性を呼び覚まし、自分に備わっている可能性を開き、日々の現実を変えていけるのです。
そして財は誰の胸中にも秘められています。どんな境遇の人の蔵のカギも同じく「信心」です。貧乏人用とか病人用とかはありません。特別な様式も資格もありません。誰しもが信心によって財を開くことができるからこそ、この信仰はすべての人を救うことができるのです。
まさに日蓮仏法は蘇生と希望の宗教なのです。
池田先生はつづられています。
「唱題に励み、広宣流布に進みゆく我らの仏道修行は、まさにこの『妙の三義』を、わが生活・人生の上に晴れ晴れと現じゆく尊極の実践にほかならない。ゆえに我らの信仰即人生には、絶対に行き詰まりはありません。どんな境遇にいても、必ず蘇生できる。宇宙の大法則に則り、すべてを円満に調和させながら、無限の活力をもって勝利を開いていけることは、御聖訓に照らして間違いないのです」
まとめ
さて、今こそ、座談会革命を出発点に、いよいよ未来の創価学会を建設していく時です。そのためにも、少しでも多くの友人知人が集まってくるような座談会を目指し、学会理解をさらにさらに広めて、お一人お一人に財の蔵のカギとなる「信心の種」を植えて参ろうではありませんか。
私も今回の御書から、大聖人の一人の人を必ず救おうとする大情熱を学ばせていただき、心から感激いたしました。私自身、現在折伏に挑戦しておりますが、なんとしても友人の座談会参加を勝ち取って、この信仰の素晴らしさを伝える決意です。そして、どんな悩みも、お題目で必ず乗り越えられる、必ず勝利の人生を開いていける、と信じきって、友人に語りつくして参ります。
さあ、明年の創立90周年を目指す私たちは、共々に、妙法とともに歩む人生の素晴らしさを友に語り広げながら、学会創立の11月を晴れ晴れと勝ち飾って参りましょう。