座談会御書講義

座談会御書「種種御振舞御書」講義(2019年5月度)

日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門既に日本の柱をたをしぬ、只今世乱れてそれともなく・ゆめの如くに妄語出来して此の御一門どしうちして後には他国よりせめらるべし、例せば立正安国論に委しきが如し

日蓮によって、日本国の存亡は決まる。譬えば、家に柱がなければ家は保たれず、人に魂がなければ死人であるのと同じである。日蓮は日本の人の魂である。平左衛門尉はすでに、日本の柱を倒した。まさに今、世の中が乱れ、それという事実もないのに、夢のように、うその話が出てきて、北条家御一門において同士討ちが起こり、後には他国から攻められるであろう。例えば『立正安国論』に詳しく述べた通りである。

背景と大意

今回学びます「種種御振舞御書」は、日蓮大聖人が55歳のときに身延でしたためられたとされている御書です。

ここで言うところの「御振舞」とはつまり、大聖人御自身よる「末法の御本仏としての御振舞」のことであり、文永5年から身延入山にいたるまでの約9年間の大闘争について書かれた御書であります。

大聖人年表

その9年間を年表でみていただくと、このオレンジで囲んだ範囲のことでありますが、この期間の年表がどれだけ立て続けに刻まれているかがよくわかると思います。

大聖人のご生涯を表した年表のおよそ半分が、まさにこの御書にしたためられている9年間の出来事であり、そのありようは一切衆生を救わんとする法華経の行者としての「御振舞」そのものであります。

ではなぜ、大聖人はこれまでの闘争を振り返るような御書をしたためられたか。

それは「法華経の行者」としての「御振舞」、「ご境涯」を後世に示し残すことで、弟子に不惜身命の闘争を受け継がせるための、師弟不二の道しるべを示そうとされたからと考えるべきでしょう。

なぜならば弟子が二陣三陣と大聖人の後に続かなければ、日蓮仏法の火は途絶え、広宣流布は夢のまた夢に終わってしまうからです。

大聖人の「御振舞」の精神と行動を受け継ぎ、現代において実践しているのが、私たち創価学会です。創価の誇りに燃えて、あの友この友に、さらにさらに正義を獅子吼してまいりましょう。

解説

まずはじめに、「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」とあります。日本国の存亡は日蓮大聖人によって決まる。それは末法の一切衆生を救わんと一人立ち上がられた決意からほとばしり出たお言葉です。

「譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり」とありますとおり、本抄では、大聖人こそが「日本の人の魂」であり、「日本の柱」であると仰せです。

大聖人を失ってしまうならば、日本国は魂を抜かれ、柱をはずされた家も同然です。

日蓮大聖人、ただお一人が、末法の民衆救済に立ち上がり、ありとあらゆる難をその身に受けてこられました。

この不惜身命の戦いをする人こそが「柱」であり「魂」なのです。

「ほかの誰かではない、私自身がその柱なのだ!」との強い決意があればこその、「日蓮は日本の人の魂なり」との御断言なのです。

しかし、次には「平左衛門既に日本の柱をたをしぬ」とあります。

当時の幕府は「日本の柱」たる大聖人に教えを請うどころか、弾圧し、迫害を加え、命まで取ろうとしました。とくに平左衛門尉による弾圧について、日本の柱を倒すような所業であると断罪されています。

「只今世乱れてそれともなく・ゆめの如くに妄語出来して」とあるのは、悪世末法の様相を示しており、「正法を信じない」という人々の「思想の乱れ」によって社会が混乱してしまうことを説いているものと思われます。

人々の思想が乱れ、社会が騒然とすることで、「此の御一門どしうちして後には他国よりせめらるべし、例せば立正安国論に委しきが如し」とあるとおり、立正安国論で大聖人が予言した「他国侵逼難」と「自界叛逆難」が現実となるとのべられています。

「此の御一門どしうちして」という部分が、内乱が起こることを予言された「自界叛逆難」であり事実「2月騒動」として現実のものとなりました。また「他国よりせめらるべし」の部分が、「蒙古襲来」を予言された「他国侵逼難」であります。

”予言”と申しましたが、大聖人がその的中を望んだわけではありません。

大聖人はどこまで民衆の幸福を願っており、むしろ予言が的中しないために、命の危険を冒してまで、時の権力者に対して正義を獅子吼したのであります。

この民衆のために不惜身命で戦い抜く「一人立つ精神」こそ、大聖人が私たち弟子に受け継がせようとした師弟不二の道です。

そしてこの「一人立つ精神」を受け継ぎ、実践してきたのが創価学会であり、創価3代の会長です。

池田先生は次のようにご指導くださっています。

「黙っていては、大善を為し得ない。臆さず、自分らしく、自信満々と声を響かせていくのだ。民衆の真実の声、確信の声が轟くところ、必ず『立正安国』の夜明けが開かれるのである。(中略)常勝の春の曲を奏でながら、勇気と希望の対話の花々を爛漫と咲かせ行こう!」

まとめ

さあ、師弟誓願の魂の炎を燃やし、今こそ『立正安国』の対話を拡大する時です。

ここにいる私たち一人一人が、師匠と呼吸を合わせ、「私こそ地域の柱である」、「職場の魂である」「一家の太陽である」との誓願に立つならば、勝てぬ戦いは断じてありません。

私たちは、全ての戦いにおいて一切の愚痴を排し、正義の思想を声を大にして語り、自分史上最大の大闘争を戦いきろうではありませんか。

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