不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向かって礼拝を成す時浮かべる影又我を礼拝するなり
不軽菩薩が四衆(出家・在家の男女)を礼拝すれば、増上慢の四衆の仏性もまた同時に不軽菩薩を礼拝するのである。これは、ちょうど、鏡に向かって礼拝をする時、そこに映っている自分の影もまた、自分を礼拝するのと同じ原理である。
背景
「御義口伝」は、日蓮大聖人が身延の地で法華経の要文を講義された内容を、日興上人が筆録し、大聖人の許可を得て完成したものと伝えられています。
各項目では、法華経の一節を挙げ、天台大師等の釈を引用した上で、「御義口伝に云く」と、末法の御本仏のお立場から法華経解釈を展開されています。
今回の拝読御文は、「常不軽品三十箇の大事」の「第廿九 法界礼拝住処の事」の中の一節です。
不軽菩薩とは、法華経常不軽菩薩品第20に説かれる常不軽菩薩のこと。
釈尊の過去世における修行の姿の一つです。
威音王仏(いおんのうぶつ)の像法の時代に仏道修行をし、万人を礼拝する菩薩行を実践しました。
自らを迫害する人々に対してさえ、必ず成仏できるという言葉を唱えながら、出会ったすべての人に礼拝します。
その言葉とは、
「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」(私はあなたたちを敬う。なぜなら、あなたたちは菩薩の修行をすれば、仏になるからです)
であり、鳩摩羅什の漢訳では二十四文字なので「二十四文字の法華経」と言います。
慢心の人々から迫害を受けましたが、それでも礼拝行を貫き通し、この修行が因となって成仏したと説かれています。
解説
不軽菩薩が四衆を礼拝したとき、礼拝された相手に内在する仏性は不軽菩薩を礼拝します。
この原理は、私たちが折伏した場合でも同じです。
必ず、私たちの誠意に対して相手の仏性が目覚めて、こちらに礼拝をなしていると確信するべきです。
その証拠として、相手の心中には大きい波乱が起こり、動揺がおこります。
それは、これまで何事もなく世法によって生きていたところ、初めて仏性が覚醒するのですから当然のことです。
すると魔の働きが仏性を押さえようとし、一方では仏性の覚醒を促す折伏者に対して、強く反発するのです。
したがって、折伏した結果として強い反対を受けることは、やり方を間違ってしまったかのように思えても、実は大きい前進なのです。
また、友の仏性を信じて真心の対話を続けることは、人として信頼されることにつながります。
戸田城聖先生がおっしゃられた「折伏をすれば信用が残る」とのお言葉は、相手の仏性を信じぬく誠実な振る舞いで不軽菩薩のように対話の実践をなしていくべきだとの御教示とも言えます。
まとめ
「私たちは、不軽菩薩の行を現代において実践している!」
「まさに現代の不軽菩薩であり、地涌の菩薩なのだ!」
この確信で、さらに折伏の前進に全力をあげたい。
さあ、「伝統の2月」から広布後継の「3・16」へ。
常に青年の心で、地涌の使命に燃えて、どこまでも誠実な対話を積み上げてまいりましょう。