金はやけばいよいよ色まさり、剣はとげばいよいよ利くなる。法華経の功徳は、ほむればいよいよ功徳まさる。二十八品は正しきことはわずかなり、讃むる言こそ多く候えと思しめすべし。
金は焼けばいよいよ色が良くなり、剣は研げばいよいよ良く切れるようになる。法華経の功徳をたたえれば、ますます功徳は勝っていく。28品は、法理の真髄を説くところは、わずかであるが、たたえる言葉こそ多くあることを、心得ていきなさい。
背景と大意
今回、みなさんと学んでまいります「妙密上人御消息」は、日蓮大聖人が55歳の時、身延の地で著されたお手紙です。
妙密上人については詳しいことはわかっていませんが、本抄の内容から折々に大聖人に御供養を続け、夫婦で強盛な信仰をされていたようです。
また大聖人が「上人」と呼ばれていることからも、信心強盛の人であったと考えられています。
このお手紙の内容を簡単に説明すると、妙密上人の真心の御供養に対して、その功徳の大きさを詳しく説明なさり、妙密上人夫妻を最大限に激励されているお手紙です。
本抄全体の流れを紹介しますと、まず妙密上人が届けた御供養に対して、生命を守り育む食物を人に施す功徳の大きさについて述べられます。
次に、日本に仏教が伝来した経過を伝えた上で、末法には必ず南無妙法蓮華経の題目が広がると述べられます。
そして、大聖人ご自身が経文の予言通りの大難を受けられたこと、そしてそれは末法の御本仏の証拠であると宣言されます。
つまりこの御書では、妙密上人が御供養しているのは他の誰でもない、末法の御本仏に対してである、ということを証明されているわけです。
だからこそ大聖人を支え続けてきた妙密上人の功徳は計り知れないと述べられています。
そして最後に、法華経を賞賛すればするほど、ますます功徳は増えていくと述べられて本抄を結ばれています。
今回の拝読御文は、この本抄の最後の箇所です。
同志を尊敬し讃えること、仏法対話や信仰体験を語ることなど、妙法を讃え弘めることの偉大な功徳について一緒に学んで参りましょう。
解説
始めに「金はやけばいよいよ色まさり、剣はとげばいよいよ利くなる」とあります。
金は精錬すればするほど輝きを増します。
また剣は研げば研ぐほど鋭くなります。
光がくすんだ金よりも、ピカピカの金の方が価値があるし、切れ味の悪い剣よりも、良く切れる剣の方が、より意味があります。
それと同じように「法華経の功徳は、ほむればいよいよ功徳まさる」と仰せです。
法華経とは功徳の塊であり、その功徳をさらに大きする方法があるのです。
では、法華経の功徳の輝きを増し、鋭さを増すにはどうすればいいか。
それが、法華経の功徳を讃えることなんです。
そもそも法華経全体が、法華経の功徳を賞讃し、全ての人にその功徳を受け取るように勧めている経典でもあります。
また、南無妙法蓮華経というお題目唱えることも、方便品、自我偈を読誦する勤行も、仏の生命が自身の胸中にあると覚るという、法華経の功徳を讃嘆する行為とも言えます。
私たちは常日頃から妙法の功徳を讃嘆していて、しかもその功徳は讃嘆すればすればするほど、さらに強化されるのです。
その意味で、勤行・唱題は、やった分だけ得をするという理屈がここにあります。
次に、「二十八品は正しきことはわずかなり」とあります。
28品とは法華経のことですが、これは法華経には正しいことはわずかしか書いていないという意味ではありません。
法華経においては、法理の真髄を説き示した箇所は多くないということです。
具体的には方便品第二の一念三千、寿量品第十六の久遠実成が真髄とされている箇所の中心で、それ以外のほとんどが「讃むる言こそ多く候えと思しめすべし」とある通り、妙法の功徳を讃嘆している箇所です。
法華経に説かれた「正しきこと」は、確かに量としては全体に対して多くありませんが、その内容はこれまでの経典の説くところをはるかに超越したものです。
そもそも、ものごとの根本原理というものは抽象化されいて、複雑なものではないことが多いと言えます。
樹木に例えれば、枝や葉などが多数に分かれていても根っこは一つであって、その全体を木と表現します。
アインシュタインの特殊相対性理論も、実はたった二つの大前提が基礎になっているだけで、そこからさまざまな理論が展開されて、その全体を特殊相対性理論と呼んでいるのです。
法華経においても、法理の真髄が述べられた個所は、勤行で読誦している方便品、自我偈であり、その真髄をシンプルに突き詰めれば全ての人が仏の生命を持っているというファイナルアンサーなんです。
結論、法華経28品とは、全ての人の仏界を開く「南無妙法蓮華経」の功徳を、あらゆる仏や人々が口をそろえて賞讃しているという内容なのです。
南無妙法蓮華経を賞讃する心には功徳が溢れ、そして讃えれば讃えるほど、その功徳は勝っていく。
仏法対話や信仰体験として、自分自身が実感した信心の功徳を、例え一言であっても人に語っていく時、功徳は倍増していきます。
また、妙法を弘める同志の活躍を讃え、励ましていくならば、その功徳はいかばかりでしょうか。
池田先生はこの御文を拝して、当時の婦人部の友につづられました。
「どうか、これからも仲良く賢く励まし合い、讃え合いながら、朗らかに前進していってください。そこに、『心の財』を山の如く積みながら、自他共の『幸福勝利』の門を開いていくことができるからです。新たな『希望の人材』の門が、大きく広がっていくからであります。『祈りとして叶わざるなし』の妙法であります。何があっても、わが仏の生命を輝かせながら、『世界広布新時代』の太陽と光っていただきたい」
まとめ
どうせ信仰をするならば、功徳がいっぱいに越したことはありません。
ならば、創価学会の信心を友に語ること、そして戦う同志を心から讃えることことで、信仰の偉大な功徳をさらに増やしていこうではありませんか。
私たちは、同志と互いに尊敬し励まし合いながら、心の財をうず高く積み上げ、我が地域、我が地区を幸福勝利へと今日も一歩前進させて参りましょう。