伝教大師云わく「浅きは易く深きは難しとは、釈迦の所判なり。浅きを去って深きに就くは、丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の 一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等云云。安州の日蓮は、恐らくは、 三師に相承し、法華宗を助けて末法に流通す。三に一を加えて三国四師と号づく。
伝教大師は「浅い教えは易しく、深い教えは難しいとは、釈尊による判別である。浅い教えを捨てて深い教えを採用することは、丈夫の心である。天台大師は、釈尊に従い、法華宗に力を添えて中国に宣揚、比叡山の一門は天台のあとを受け継いで、法華宗に力を添えて日本に弘める」と述べている。安房国の日蓮は、恐れ多いことだが、釈尊・天台・伝教の三師のあとを受け継いで、法華宗に力を添えて末法に流通するのである。それゆえ、三師に日蓮一人を加えて「三国四師」と名付けるのである。
背景と大意
本抄は、文永10年閏5月11日のご述作です。日蓮大聖人が52歳の時に、有名な如説修行抄の御述作とほとんど同時またはその直後に、流罪地の佐渡で著されたとされる御書です。
とくに宛名はありませんので、特定の弟子に与えられた書ではなく、門下一同に対してのお言葉であると拝されます。
題号となっています「顕仏未来記」とは「仏の未来記をあらわす」と読み下し、「未来を予見した仏の言葉をあらわす」つまり仏の未来記を実現するという意味です。
「顕仏未来記」の仏とは、釈尊のことを表しますが、現代に置き換えれば、日蓮大聖人の未来記という意味も持ちます。
釈尊が予見した未来を、日蓮大聖人はただ一人、ことごとく実現してきました。
それは、日蓮大聖人こそが、末法の御本仏だったという証明であります。
この御書の中心的な部分では、釈尊が予見した「法華経の行者は必ず難に会う」という法則を大聖人が身をもって体現されてきたことを仏説に照らし合わせながら述べられています。
つまり大聖人の出現こそが、釈尊の未来記そのものだったのです。
では末法の御本仏であられる日蓮大聖人の未来記とは何で、一体誰がそれを実現するべきなのでしょうか。
御書の後半部分では、南無妙法蓮華経の正しい仏法が世界に広まることを宣言され、弟子に対して広宣流布を必ず実現するようにと、その実践を強調されています。
つまり、日蓮大聖人の未来記とは、世界広宣流布なのです。
広宣流布とは、全人類の幸福を勝ち取ることです。
日蓮大聖人の未来記とは、それが必ず、実現できる、また、実現させて行きなさい、という予言であり信託なのです。
本抄は、日蓮大聖人の広布の予言書として重大な意義を持つとともに、大聖人の絶対の確信をあらわした偉大な広宣流布の宣言書とも言えます。
佐渡での死と隣り合わせの壮絶なお暮らしぶりから想像するに、恐らく、弟子達に、御遺言のようなお気持で、全生命をこめて書かれたのではないでしょうか。
今回の拝読箇所を拝しながら、日蓮仏法の実践の正しさをともどもに学んでまいりましょう。
解説
最初に「伝教大師云わく浅きは易く深きは難しとは、釈迦の所判なり」とあるとおり、釈尊の教えには浅い教え、深い教えがあります。浅い教えは広めやすく実践もしやすいが功徳がなく、仏の覚りそのものである深い教え、つまり法華経は、信じにくく、弘めにくいと釈迦自身が判定しているとの言葉です。
仏の覚りである法華経は、全ての人が成仏できる唯一の教えであり、私たちはこの法華経でしか救われることはありません。
しかし、私たちは楽な方へ楽な方へと流れて行きがちです。
信心の実践においても、勤行唱題や折伏の戦いとなると、ついつい弱い心が出てきがちです。
しかし「浅きを去って深きに就くは、丈夫の心なり」とある通り、万人成仏の唯一の教えである、南無妙法蓮華経の自他共の実践をおいてほかに、幸福への道はありません。
ここでいう「丈夫の心」とは、弱い心に負けない心、すなわち仏の心ことです。
続く御文には「天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す等云云」とあります。これは、法華経を正しく宣揚してきた指導者のことを述べられている部分です。
インドの釈尊、中国の天台大師、日本の伝教大師という3つの国の人たちが、法華経を日本まで伝え、弘めました。三つの国の3つの師ということで三国三師といいます。
そして「安州の日蓮は、恐らくは、 三師に相承し、法華宗を助けて末法に流通す」とある通り、釈尊、天台大師、伝教大師、の三人のあとをついで、日蓮大聖人が法華経を広めていることを宣言なさいます。
ここでの「安州」との仰せは、大聖人のお生まれの安房国のことです。
続く御文に「三に一を加えて三国四師と号づく」とあるのは、インドの釈尊、中国の天台、日本の伝教の三人で三国三師のところを、大聖人を加えて三国四師である、と述べられています。
これはまさに、大聖人が法華経の行者であり、末法の御本仏であるとの大聖人の確信、結論を述べられた部分であります。
大聖人は、法華経の行者として、釈尊の未来記を現実のものにしました。
もし大聖人がご出現されなければ、釈尊は大嘘つきになるところです。
しかし、現実には大聖人の戦いにより、釈尊の予見はことごとく的中しました。
一方の、大聖人の未来記とは何か。それは、広宣流布です。
今度は、大聖人の直系の弟子である私たちが、この予見を現実のものにしなければなりません。
私たちが実践する、今、目の前の友人や同志を幸せにしたいという祈りと戦いは、まさに大聖人の未来記の実践に他なりません。
池田先生は本抄を拝してつづっています。
「創価学会は、この三国四師の系譜において創立された、真の法華宗を世界に弘通している唯一の仏勅の教団です。そして、無数の地涌の菩薩を全世界に呼び覚まし、万年の未来にわたる堂々たる平和への大行進を続ける尊貴なる和合僧団であります。戸田先生は『広宣流布のさきがけをしようではないか』と叫ばれ、『創価学会は宗教界の王者である』と宣言されました。私は、私とともに戦ってきてくださった皆様とともに、『我らこそ御本仏の未来記の主人公なり』と、誇り高く宣言したい。そして『私は勝った!我らは勝ちに勝った!』と言える輝かしい人生を、愉快に、朗らかに、はるかな未来へ向かって共々に生き切っていきましょう」
まとめ
私も日々の祈りのなかで、毎日、弱い自分との闘争を続けています。
自分にできることをしっかり見つめ、友や同志を励ますことで、負けそうになる自分を鼓舞して、毎日毎日、日々勝利を積み重ねて参ります。
さあ、共々に、日蓮大聖人の未来記を本物にするという覚悟で、絶対の確信をもって、友や同志の幸福を祈り抜き、自他共の幸福境涯を築いてまいりましょう。
