広布も人生も戦いです。勝つからこそ、力ある宗教なのです。
いかなる時にも、勝利の実証を示す戦いを起こすのが地涌の誇りです。
今回は「仏法は勝負」をテーマに、戦いに勝利する信心を学んでまいりましょう。
弥三郎殿御返事
今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり
今まで生きながらえてきたのは、このこと(法華経ゆえの難)に遭うためである。今この時こそ、(戦いの要衝として有名な)宇治川を渡す所だ、勢多川を渡す所だと思いなさい。名を上げるか、名を下すかの勝負どころである。
大聖人が56歳の時、弥三郎に与えられたとされる御書です。
念仏者との法論に臨むことになった弥三郎が、どう立ち向かえばいいのかを大聖人に指導を仰いだものと思われます。
大聖人は祈りを根本として戦うことを強調されて、「『釈迦仏・多宝仏・十方の仏よ、集い来って、わが身に入りかわり、我を助けたまえ』と祈念しなさい」とご指導されています。
本抄にある「宇治川」「勢多川」の一帯は、京都をめぐる攻防戦の要衝であり、決戦の地です。大聖人は弥三郎に対して、この度の法論こそ「宇治川を渡せし所」、すなわち仏法が勝つか負けるかの瀬戸際であり、恐れることなく勇敢に立ち向かうべきであると指導されています。
勝負には必ず、「ここ」という重要な地点があります。その「いざ!」というときに、全精力を注ぎこんで勝負に挑めるかどうか。正念場を決して見逃さない眼と、肝心な時に実力を出し切ること。これこそが勝利をものにする力です。
「名を上げる」とは、単に名声を得ることではありません。信心の偉大さを証明することであり、勝利の実証を体現することです。そして我々弟子の勝利が、師匠の偉大さを宣揚することにつながることは言うまでもありません。
思いもかけない局面に、不運だと嘆くことは誰にでも起こりえます。しかし、一大事の局面は「宇治川を渡せし所」なのかもしれません。
そんな時にこそ、地涌の使命を果たすべき好機ととらえて、喜び勇んで戦うのが弟子の誉です。
世間をアッと言わせる戦いで、師弟凱歌を勝ち飾ろうではありませんか。
新池御書
始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩みをはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき
始めから終わりまで、いよいよ信心をすべきである。そうでなければ後悔するであろう。例えば、鎌倉から京都までは十二日の道のりである。それを十一日余り歩いて、あと一日となった時に歩くのを止めたのでは、どうして都の月を詠ずることができよう。
日蓮大聖人が59歳時、身延で著され、新池左衛門尉に与えられたとされている御書です。
大聖人のご在世当時、鎌倉から京都までは約12日の道のりでした。11日間、いくら懸命に歩いてきても、そこで止まってしまえば、それは歩かなかったことと同じです。後悔が残るに違いありません。
いかに、頑張ってきたといっても、途中で戦いを止めてしまっては、結局は敗北です。
頑張ってきたことが報われないと不満を抱くことも、慢心に陥ることも、敗北の原因です。
あと一歩、あきらめていなければ。そんな後悔をしないための秘訣こそが「始より終りまで」です。最後の最後まで、自分の弱い心に負けない生き方こそ、勝利の人生です。
信心の道も、歩みを止めてしまえば、それまでの努力も水の泡。あきらめた瞬間に敗北です。
どんな厳しい困難であっても、もう一歩の努力、挑戦が、勝利をもたらしてくれるかもしれません。
叶うまで祈り切り、達成するまで戦い続ける。あきらめない勇気の人こそが、真の勝利者なのです。
まとめ
日蓮大聖人は『仏法は勝負をさきとし、王法は賞罰を本とせり』と仰せです。
我々の信仰の力とは、勝ち負けがはっきりする戦いで最後の最後に勝ち切るまで戦い抜ける力であり、それは現実に世界を変えることのできる力です。ゆえに仏法は偉大であり、だからこそ戦いには負けられないのです。
私たちには御本尊があり、励ましあえる同士がいます。そして偉大な師匠がいる。
私たちの勝利こそ、幸福こそ、仏法の偉大さの証明です。それこそ師匠が待ち望んでいる姿です。
さあ、悩んでいる、苦しんでいる今こそ、生命の底力を発揮し、大勝利の人生を謳歌しようではありませんか。