白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、此の声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし
白馬がいななくのは、私たちの南無妙法蓮華経の声である。この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天王などが、どうして色つやを増し、威光を強くされないことがあろうか。どうして我らを守護されないわけがあろうかと、強く強く思っていきなさい。
背景と大意
今回、みなさんと学んでまいります「曾谷殿御返事」は、曾谷教信(きょうしん)の息子、曾谷道宗(どうそう)に宛てて送られたお手紙です。その内容から、輪陀王御書(りんだおうごしょ)とも呼ばれています。
歴史的には、日蓮大聖人が53歳で身延に入られた後、一度目の蒙古襲来があり、60歳の時には二度目の蒙古襲来がありました。
本抄をご執筆されたのは、大聖人が58歳、二度目の蒙古襲来が懸念され、人々はその恐怖におびえていた時です。
その意味で本抄では、なぜこのように国に危機がせまるのか、どうすれば回避できるのかについて述べられます。
本抄の内容的な中心部分は、南無妙法蓮華経の題目こそが全ての仏教の要であるという御教示です。
まず法華経こそが一切経の原点であることを教えられ、このお題目によって、あらゆる人々の生命力を湧き立たせ、安穏な社会が実現できること、逆に正法が失われると国が乱れることを示されます。
その例えとして用いられたのが「輪陀王と白馬」の故事です。
ここでは御文に基づいて、輪陀王の物語を簡単に説明します。
かつて輪陀王という王さまがいました。
この王は、白馬のいななきを聞くことで自身の生命力を高め、勢力を増していました。
輪陀王の力で国は栄え、人々も安泰で、周囲の国からも尊敬の念を集めています。
その輪陀王が「困っちゃう」事件が起きます。
白馬は、白鳥を見ていななくのですが、ある日、白鳥が一羽もいなくなります。
そのために白馬が鳴くこともなくなり、輪陀王や人々の生命力は弱まります。
天候も悪くなり、飢餓・疫病が起こって、他国からの侵略も始まってしまいます。
色んな人がお祈りしましたが白鳥は戻りません。
そこに馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)が現われて、三世十方の仏に祈ったところ、たちまち白鳥が現れて、白馬も喜びいななきます。
輪陀王の元気は復活し、以前の百千万倍の力に満ちて、「リンダ、もうどうにもとまらない」と言ったかどうかはわかりませんが、人々も活気を取り戻し、国が安穏になりました、という物語です。
本抄の拝読部分では、「白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり」と仰せです。
つまり、法華経の行者の唱題の声は、王さまを始め国土の全部と全人類の生命力をパワー全開にするのです。
ここからは、全人類を救うことのできるお題目を弘めている「日蓮が一門」の使命の尊さをかみしめながら、曾谷殿御返事の一節を学んでまいりましょう。
解説
はじめに、「白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり」とあります。
大聖人の一門の唱題の声こそが、全人類の生命力を呼び起こす最強のエネルギー源であり、輪陀王の凄さの秘訣でした。
つまり輪陀王のたとえとは、正法によって国を安泰にする話であり、正法が失われることによって国が乱れることを表しているのです。
私たちはこのことを立正安国という言葉で知っています。
題目こそは、立正安国の原動力です。
ここで白馬・白鳥によって譬えられている「我等」とは、南無妙法蓮華経によって民衆救済に立ち上がられた日蓮大聖人と、師匠と同じ確信で南無妙法蓮華経を弘めようとしている弟子たちのこと。
現代で言えば、ブロックを救い、地区を蘇生させ、地域を変革することを誓願して末法に踊り出た私たち創価学会員のことです。
その「我等」のお題目の声によってこそ、社会を救うことができるのです。
法華経の行者を守護するあらゆる働きのことを諸天善神といいます。
「此の声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき」との仰せ通り、私たちの朗々たる唱題の声は、諸天善神の働きを強めます。
そして、「いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし」との仰せのままに、強盛に信じ切ってこそのお題目です。
諸天善神の働きの強弱は、信心の強弱によって決まるのです。
弱々しい白馬のいななきでは、輪陀王も力が出せません。
たとえ、さまざまなことで悩んでいたとしても、もがき苦しんでいたとしても、まるで白馬が颯爽と大草原をかけめぐるような、爽快で、すがすがしい、朗々たる唱題を心がけたいと思います。
池田先生はつづられています。
「白馬のいななきが王者の勢いを増す如く、我らの朗々たる唱題こそが、仏天の威光勢力をいや増していくのだ。強盛な祈りがあれば、縁する周囲の存在が全て諸天善神のはたらきとなって、私たちを厳然と守りに護る。妙法とともに広宣流布に走る知勇兼備の師子王には、何も恐れるものはない。題目こそ不可能を可能にする源泉である」
まとめ
私たちは、たとえ苦しみのふちにあっても、どんなに厳しい状況に追い込まれていたとしても、法華経の行者であることには変わりありません。
お題目を朗々と上げていくなかで、困難な状況を打開し、環境や地域すらも変えていけるのが大聖人の教えです。
私自身、唱題の力で何度も崖っぷちから蘇生し、経済的にも健康面でもどん底から立ち上がることができました。
あらゆる状況や環境に負けない自分自身を築いてこられたのも、師匠や同志の励ましとお題目のおかげです。
私たちは、どこまでも唱題根本に、障魔に負けない生命力を湧き立たせながら、諸天を揺り動かす確信の祈りで、勝利の一日一日を積み上げてまいろうではありませんか。