座談会御書講義

座談会御書「曾谷殿御返事」講義(2019年9月度)

此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候 法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり

この法門を日蓮が説くので、「忠言は耳に逆らう」というのが道理であるから、流罪され、命の危険にも及んだのである。しかしながら、いまだ懲りてはいない。法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである。

背景と大意

今回、みなさんと学んでまいります「曾谷殿御返事」は、大聖人が55歳の時、身延から現在の千葉県の中心的門下だった“曾谷さん”という方に与えられた御書とされています。本抄の中で、「成仏のために用心すべきこと」がしたためられているため、別名「成仏用心抄」ともいいます。

ここで出てくる曾谷さんは、幕府の役人といわれております。大聖人の弟子の中でも屈指の知識階級で、豊かな知識と教養、さらには財力にも恵まれていたそうです。

それほどの曾谷さんにあてた御手紙と言うことで、今回の御書は大変難しくて、その内容を簡単に一言で言い表すことはできません。

本抄で大聖人が曾谷さんに伝えたかったこと、というのは、「どうすれば成仏できるのか」という、成仏についての問題です。

まず、大事なことは、「法華経以外の教えでは成仏することができない」ということです。そして、末法である今、成仏できる教えとは「南無妙法蓮華経」しかありません。しかも、正しい師匠のもとでどれほど仏道修行したとしても、法華経の敵を見て攻めなければ成仏は叶いません。

要するに、正しい師匠に従って、南無妙法蓮華経を唱え、法華経の敵を攻める戦いを起こすこと。それこそが成仏の道であると述べられているのです。

大聖人のおっしゃる“成仏の道”は絶対的に正しいわけですが、しかし、あまりに正しいがゆえに、反発の心が起きて聞き入れがたいというのも「道理」です。そのため、大聖人は正しい仏法をひろめる中で、さんざん命に関わる大難を受けてこられました。

それでも、大聖人は一切退くことなく、この戦いを続けることを宣言されています。

その宣言が書かれているのが本抄の末尾であり、今回みなさんと学んでまいります一節となっています。

解説

まず、「此法門を日蓮申す故に」とあります。「此法門」とは、法華経のことであり、日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」のことです。

日蓮大聖人の正しい仏法を「申す故に」、つまり、厳しく法華経の敵を責め、正法を広めようとしているからこそ、という意味です。

「中言耳に逆う」とあります。「中言」というのは、夏の始まりに心を込めた贈り物をする「お中元」ではなく、相手を思って心を込めた言葉や忠告のことです。似た言葉に「良薬口に苦し」というのもありますが、要するにあまりに的を得た忠告は聞く人にとっては耳が痛いということです。

大聖人が謗法を厳しく責めて正しい仏法を広めようとするので、誤った教えに執着する人たちからはかえって憎まれてしまうのが「道理」であると述べられています。それはそのまま、大聖人が流罪や命に及ぶ迫害にあった理由でもあります。

ひるがえって、私たちが弘教拡大、聖教拡大のために、勇気を振り絞って、相手のことを思って祈りきって対話するものの、強い反発を招いてしまったり、後で陰口を叩かれたりすることがあります。

しかし、それはものの「道理」です。なんら間違ったことをしたわけでも、やりかたがまずかったわけでもありません。反発があってこそ、私たちの正義が証明されたと自信を持っていいんです。

大聖人にいたっては「流罪せられ命にも及びしなり」ですから、我々が受ける少々の反発など、何も恐れることはありません。

そのうえで、大聖人は「いまだこりず候」との仰せです。さんざんな迫害にあってきた大聖人ではありますが、この一文からは、それでも全人類を救う戦いを絶対にやめないという、大情熱と大慈悲が拝されます。これは、私たち門下にも同じ覚悟で信心に励みなさいと、教えられているに違いありません。

では、具体的にはどのように戦うか。

続く御文では、「法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり」と、法華経を種、仏を種を植える手、衆生を「田んぼ」に例えて、「下種」について教えてくださっています。

種とは、すべての人を仏にする根源、すなわち「南無妙法蓮華経」のことです。私たちは仏の使いとして「植え手」となって、友人知人にこの成仏の種を植えることができます。それを「下種」といいます。

「下種」とは、簡単に言えば縁を結ぶことです。会うこと、語ることこそが、縁を結ぶことです。もちろん相手がすぐ発心するとはかぎりません。たとえ「忠言耳に逆う」で、強い反発を受けたとしても、「いまだこりず候」の精神で、仏縁を結び続けていく。

それこそが、「成仏の用心」、すなわち、大聖人が私たちに託してくださった広宣流布の道なのであります。

今こそ、祈りに祈り、動きに動き、語りに語り、妙法の種をまく尊き仏の振る舞いで、拡大の戦いに打って出てまいりたいと思います。

池田先生は、つづられています。

「日蓮仏法は『下種仏法』である。衆生の生命に『仏の種』を下ろすのだ。相手がすぐに発心しなくとも、必ず花開く時が来る。その時を呼び寄せるのが、祈りの力である。誠意と確信を込めて語った分、その声が種となって仏縁が結ばれ、福徳が広がる。信頼が生まれ、信用が残る。ゆえに今日も、勇気凛々と対話へ打って出て、友の心の大地に幸の種を撒こう!」

まとめ

さあ、世界聖教会館落成まであとわずか。内外に真心からの励ましを送りつつ、今こそ、種をまき、仏縁を最大限に広げてまいりたい。そして仏縁を広げる最大の武器こそ聖教新聞です。まずは私自身が、お題目で勇気の心を湧き立たせ、過去最高の聖教拡大に挑戦してまいる決意です。ともどもに、「前進の秋」をほがらかに進んでまいりましょう。

-座談会御書講義
-,

© 2024 御書研鑽しよう会