座談会御書講義

座談会御書「三三蔵祈雨事」講義(2024年7月度)

夫れ、木をうえ候には、大風ふき候えども、つよきすけをかいぬればたおれず。本より生いて候木なれども、根の弱きはたおれぬ。甲斐なき者なれども、たすくる者強ければたおれず。すこし健げの者も、独りなれば悪しきみちにはたおれぬ。

そもそも、木を植える場合、大風が吹いたとしても、強い支えがあれば倒れない。もともと生えていた木であっても、根の弱いものは倒れてしまう。弱くてふがいない者であっても、助ける者が強ければ倒れない。少し頑健な者でも、独りであれば悪道に倒れてしまう。

背景と大意

今回、みなさんと学んでまいります「三三蔵祈雨事」は、日蓮大聖人が54歳の時、身延の地で著されたお手紙です。

お手紙をいただいたのは、静岡県あたりに住んでいたとされる、西山さんという人です。

この前年には「文永の役」と呼ばれる一度目の蒙古襲来があったばかりで、当時の人たちは再びの蒙古襲来を恐れていた時代背景となっております。

本抄の冒頭、大聖人は善知識の重要性を説きます。

善知識、悪知識と言っても、善か悪か、というのはわかりやすいですが、知識というのは、この場合、知人のこととご理解ください。

つまり、善知識というのは、仏法を教えてくれる人のことであり、師匠や、先輩・同志などがあてはまります。

逆に、悪知識とは、仏道修行を妨げたり不幸に陥れたりする悪人や悪友のことです。

大聖人は本抄で、「仏になる道は、善知識に勝るものはない」とおっしゃられており、善知識にあうことは、成仏において最も重要なことです。

ところが、実はこの善知識は爪の上の土のように少なく、逆に悪知識は大地の塵よりも多いとされていて、善知識に巡り合えることはとても貴重なこと。

しかし、とある知人が善知識であるか悪知識であるかを識別することなんてなかなかできませんよね。

そこで日蓮大聖人は、その判別の方法として、道理として間違ってないか、正しさを証明する経典があるか、そして実際にそのことが間違っていない証拠があるかの3つの判断基準をあげていらっしゃいます。

これを「文証」「理証」「現証」といい、特にの三つ目の実際に現実に上に置いてその証拠があるかどうかの現証が一番大事な決め手なると仰せです。

これについて創価学会初代会長・牧口常三郎先生は、分かりやすく「医者を選ぶ3つの条件」に当てはめて説明されました。

その医者が勧める治療法が、医学上、合理的なものであることが納得できるならば、不安はありませんよね。

これが道理、すなわち理証です。

医者の学歴や肩書き、専門性などを考えるのは、文証にあたります。

そして、その医者が多くの病人を現に治しているかどうかは、さらに大事な条件であって、これが現証です。

逆に、ちゃんとした免許や肩書きがなかったり、治療法が科学的でなかったり、現に誰も治せていない医者に、病人の治療を任せるわけにはいきません。

つまりこの三証のどれか一つが欠けても正しいとはいえないのです。

その意味では善知識とは、ズバリ日蓮大聖人の一門のことです。

本抄で大聖人が手紙の相手である西山さんに、最初に教えられたのが、この「善知識を求めよ」の一点でした。

今回の拝読御文は、本抄冒頭の「善知識」の大切さを、樹木などに譬えられた有名な箇所です。

善知識の重要性を一緒に学んで参りましょう。

解説

始めに「夫れ、木をうえ候には、大風ふき候えども、つよきすけをかいぬればたおれず」とあります。

大聖人は仏道修行に励む者を「樹木」にたとえられ、仏道修行を妨げる働きを「大風」にたとえられています。

続く「つよきすけ」とは、先ほど学んだ善知識のことです。

本より生いて候木なれども、根の弱きはたおれぬ」とある通り善知識のない者は、大風に負けてしまいます。

次に「甲斐なき者なれども、たすくる者強ければたおれず」とある通り、ここでも「たすくる者」として善知識の重要性が重ねて述べられています。

ここに出てくる善知識は、人を正しき仏法に導き、信心を励ましてくれる、現代でいえば創価学会の同志のことです。

大聖人が、善知識の重要性を重ね重ね説いている通り、学会の組織ほど信仰にとってありがたいものはありません。

最後に「すこし健げの者も、独りなれば悪しきみちにはたおれぬ」とされているのも、善知識を味方につけないまま仏道修行を成就することの難しさを伝えようとなさっているものと考えられます。

大聖人はこの拝読御文を通して、仏道修行において善知識の存在が最も重要であり、善知識によって成仏が可能になることを教えてくださっているのです。

もちろん現代においての善知識とは、「励まし」の世界を広げゆく創価学会のことであり、私たち一人一人のことです。

釈尊が「善き友を持ち、善き友と共にいることは、仏道の全てである」と語った通り、私たちが励まし合い、共に手を取り合って広宣流布に邁進する姿こそ、正しい仏法の実践にほかなりません。

池田先生はつづっています。

「創価学会は牧口先生、戸田先生の不惜身命の闘争から始まった大聖人直結の団体です。御本仏の一切衆生救済の精神が横溢している、『民衆の安全地帯』です。善友が集い合い、誰も置き去りにしない『温かな人間主義の組織』です。地位や名誉、財産も関係なく老若男女を問わず、互いに飾らず、ありのままの人間として共に励まし合い、共々に成長し、幸福を勝ち取る『庶民の城』でもあります。戸田先生は、『創価学会の組織は、戸田の命よりも大事である!』と宣言されました。仏勅の使命を帯びた未曾有の世界広宣流布の団体を、断じて大切にせよとの獅子吼です」

まとめ

私たちは、互いが互いを励まし合う善知識の集団であり、それ故、どんな大風にも倒れることがありません。

だからこそ、組織が大切であり、組織こそが世界広宣流布を前に進めることができるのです。

さあ、私たちは、日蓮大聖人の仰せのままに、組織を大事にし、どんなことがあっても組織から離れず、友と励まし合いながら、信心をどこまでも貫いてまいりましょう。

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