一生はゆめの上、明日をごせず。いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給うべからず。されば、同じくはなげきたるけしきなくして、この状にかきたるがごとく、すこしもへつらわず振る舞い仰せあるべし。中々へつらうならば、あしかりなん。
一生は夢の上の出来事のようであり、明日のことも分からない。どのようなつらい境遇になっても、法華経に傷を付けてはならない。それゆえに、同じ一生を生きるのであれば、嘆いた様子を見せないで、私がこの陳状に書いたように少しもへつらわず振る舞い、語っていきなさい。なまじへつらうならば、かえって悪くなるであろう。
背景と大意
今回、みなさんと学んでまいります「四条金吾殿御返事」は、日蓮大聖人が56歳の時に、身延の地から鎌倉の中心的な門下である四条金吾に宛てられたお手紙です。
大変短い御書ですが、「頼基陳状」と言われているお手紙に添えられていたお手紙として有名な御書です。
別名を「不可惜所領の事」といいます。
「不可」というのはよくないこと、「惜」とはおしむこと、「所領」とは立場と財産のことです。所領という財産と立場を惜しんではいけません、という大聖人の深々のご指導を、この短文の御書の中に拝することができます。
当時の四条金吾には、仕事のボスに当たる、江間さんという人がおりました。このエマさんというと外国の女性の名前みたいですが、日本人の男性です。
四条金吾は、この江間さんとの関係がだいぶこじれておりまして、それもそのはず、当時、絶対服従が当たり前の主従関係にあって、四条金吾は江間さんに、この仏法を一緒にやりませんか、と、折伏をしたんです。
それ以来、左遷されそうになったり、仕事や立場を奪われそうになったりと、かなりしんどかったようです。
というのも、職場の同僚にあたる人たちから、悪口を言われていたらしくて、それを聞いていた江間さんとしても、四条金吾に対してだんだん冷遇するようになっていたんです。
で、それを決定的にしたのが、鎌倉で行われた「桑ヶ谷問答」です。
「桑ヶ谷問答」というのは何か。
当時、鎌倉で「生きてる仏様」と敬われていた僧侶がおりまして、その僧侶が「もし自分の教えに疑問があるなら、どんどん質問してみなさい」と煽っていたんですね。
そこで、大聖人のお弟子さんがそこの座談会に赴いて、さんざんケチョンケチョンに論破しました。
実はその時に、四条金吾も同席していたんですが、黙って聞いていたんですね。
ところがその約2週間後に、上司の江間さんから手紙が届きました。
そこには、「お前は座談会に複数人で刀を持ってあわれて、暴れ倒したらしいやないか」と書かれていて、四条金吾としては、事実無根のことだったのでびっくり。
さらに江間さんは「そんなやつはもう部下にしておれんから、法華経の信仰を捨てろ。さもなくば追放する」と強烈な脅しを加えてきたんです。
これには、さすがにこれまでの苦境に耐えてきた四条金吾でもキツかったわけですが、すぐさま大聖人に報告して「自分は絶対に信仰を捨てません」と決意しました。
その報告を聞いた大聖人は、即座に筆をとり、金吾へのデマを晴らすため、金吾のかわりとなって、江間さんへのお手紙を書きました。この流れで、金吾の代筆として、江間さん宛てに認められたお手紙を「頼基陳状」といいます。
その「頼基陳状」に添えられていた金吾宛てのお手紙が本抄というわけです。
デマによって追い詰められてしまった四条金吾に対する日蓮大聖人の激アツの叱咤激励の思いをともどもに学んでまいりましょう。
解説
はじめに「一生はゆめの上、明日をごせず」とあります。
過去、現在、未来という「永遠の生命」からみれば、一生といえども、一時の夢のようなものです。
しかも、その夢のような、はかない一生においてさえ、明日の我が身がどうなるか分からない。これが凡夫の現実です。
ましてや、この一生における名誉や地位、財産などは幻のようなものです。
次に「いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給うべからず」とあります。
「乞食」というのは、この場合、地位や財産を失うことをさしています。四条金吾は文字通り「乞食」になることも覚悟しなければならない状況でした。
しかし、例え地位や財産を失ったとしても、法華経にきずを付けてはならないと仰せです。
この一節こそ、信心の精髄を示された御文であると拝されます。
仏法の価値観から見れば「乞食になること」よりも「法華経に傷をつける」ことこそが、信仰の敗北となってしまうということです。
大事なことは「乞食」になることそのものが、法華経にきずをつけることではないということ。
病気であれ、経済苦であれ、置かれた境遇がどんなに苦しくとも、その境遇に負けずに信心を貫けば、法華経に対して傷をつけることにはなりません。
境遇に負けること、自分自身に負けることが、「法華経に傷をつける」ことになるのです。
信心を見失い、地位や財産に固執する姿に陥ってしまうこと。その恐ろしさを大聖人は四条金吾に伝えたかったのではないでしょうか。
続く御文に「されば、同じくはなげきたるけしきなくして、この状にかきたるがごとく、すこしもへつらわず振る舞い仰せあるべし」とあります。
意味は、どうせ、法華経にきずをつけないという生き方をするのであれば、現状を嘆くような姿を見せることなく、すこしも、人におもねったり、こびたりせずに振る舞い、語っていきなさい、ということです。
大聖人が金吾になり代わって書いた「頼基陳状」には、キッパリと「絶対に信仰をやめません」という金吾の決意が書かれておりました。
最後に「中々へつらうならば、あしかりなん」とある通り、なまじおもねったり、こびたりすることが、むしろ悪い結果になるだろう、とのご指摘です。
絶対服従の上司であろうと、法華経にきずをつけるような態度、つまり、おもねったり、こびたりせずに、堂々と、法華経の信仰を語っていく。それに徹することができるか否かが、人生の岐路なのです。
どんな状況になろうとも、不退の決意が必要です。ただ、なんの配慮もない野蛮な不退の決意では、価値がありません。
大聖人は幾重にも幾重にも、四条金吾の命の心配をされて、上司に対する言動や、同僚との付き合い方など、事細かに指示を出されながら、それでいて、絶対に信心だけは譲らないという覚悟を決めなさいと、仰せなのです。
池田先生はこの御文を拝してつづられています。
「信念は貫き通してこそ、まことの信念となる。『信仰』の精髄は、まさしく『不退転』にあります。いかなる逆境にも、ひとたび掲げた『信仰の旗』を厳然と振り続ける。その人が本当に偉大な人です。真の一流の人間です。御本仏・日蓮大聖人から賞讃される『誉れの信仰者』であることは間違いありません」
まとめ
私自身、メンタルの病で仕事を失い、何度も金銭的な問題で、家や家族を失うような厳しい場面がありました。
しかし、どんな状況にあっても、信仰の旗だけは守りぬく、と覚悟を決め、崖に爪を立てるような思いで、ここまで人生を登ってきました。
これからも、一時の地位や名誉に心を惑わされることなく、信念を貫き通すと決めて、信仰者としての一流を目指してまいります。
さあ、私たちは、いかなる苦難に直面したとしても「法華経にきずをつけ給うべからず」の御金言のままに、生涯不退転の信心で広宣流布に邁進して参りましょう。
