日蓮、日本国に出現せずば、如来の金言も虚しくなり、多宝の証明もなにかせん。十方の諸仏の御言も妄語となりなん。仏の滅後二千二百二十余年、月氏・漢土・日本に「一切世間多怨難信」の人なし。日蓮なくば、仏語既に絶えなん。
日蓮が日本国に出現しなければ、仏の金言も虚言となり、多宝如来が「法華経は真実である」と言った証明も、何の役にも立たない。十方の諸仏のお言葉もうそとなるであろう。仏が亡くなられて二千二百二十余年の間、インド、中国、日本に「世間の人々に敵対者が多く、信ずることが難しい」と説かれる経文通りに難に遭った者はいない。日蓮がいなければ、仏の言葉は、もはや途絶えてしまったことであろう。
背景と大意
今回、みなさんと学んでまいります「単衣抄」は、日蓮大聖人が54歳の時に、身延の地へ着物を供養した夫妻への御礼のお手紙と言われています。
当時、大聖人の身延での生活は困窮を極めており、本抄ではこのように述べられています。
雪を食として命を継ぎ、簑を着て世を過ごし、山林に入って果実のない時は、空腹のまま二、三日を過ごし、鹿の皮が破れれば、裸のままです。と。
このお手紙をもらった人は、まだ大聖人にお会いしたことがない人と記されていており、具体的な人物は不明とされているものの、着物という真心からのご供養に、大聖人もことのほか喜ばれていることが伺えます。
さて、本抄では、単衣の着物のご供養への御礼から始まり、法華経に予言された通りに難を受けられた大聖人を供養することは、法華経に供養することと同じであり、その功徳によって成仏は間違いないと仰せになられています。
法華経に予言された難とは、国中のあらゆる人々から、休む暇もなく憎まれ迫害されることであり、その苛烈さを日蓮大聖人は以下のように表現されています。
ある時は寺を追い出され、ある時は住所をおわれ、ある時は親類を苦しめられ、ある時は夜打ちに遭い、ある時は合戦に遭い、あるいは悪口を数知れずいわれ、ある時は打たれ、あるときは傷を負い、ある時は弟子を殺され、ある時は首を切られようとし、ある時は二度も流罪に処せられた。と。
これらの大難は、法華経に示された法華経の行者に対する予言に符合するものです。
日蓮大聖人が法華経の行者として、このような幾多の大難にあわれなかったならば、釈尊の説法はウソとなり、仏たちの証明も意味をなさないことになります。
その法華経の行者である大聖人にご供養することは、法華経の文字数と同じ6万9384の仏に供養したのと同じであると述べられ、夫妻を守るとご断言されています。
今回学ぶ一説は、日蓮大聖人が仏の全ての予言を現実のものとしたことを宣言し、これまでの大難の連続を誇りとされている内容です。
解説
始めに「日蓮、日本国に出現せずば、如来の金言も虚しくなり、多宝の証明もなにかせん」とあります。
日蓮大聖人が、受けた数々の大難には、いかなる意味があったのか。
それは、釈尊の言葉を本物にすることでした。
続く御文の「十方の諸仏の御言も妄語となりなん」と仰せの通り、仏の言葉も、それらを間違いないと言った証明も、大聖人が現れたからこそ、うそにならずにすんだとも言えるのです。
本抄では、釈尊の説いた言葉が2つ挙げられています。
そのうちの一つが法華経法師品の「如来の現に在すすら猶怨嫉多し」の文です。
これは、釈尊が在世であっても敵対するものがあるという意味ですが、そのあとに、「況んや滅度の後においてをや」とあり、釈尊が亡くなった後は、さらに厳しい反発を受けるという意味です。
この通りに、釈尊が在世の時以上の難に遭った者は日蓮大聖人をおいて他にはいません。
もう一つが、法華経安楽行品の「一切世間に怨多くして信じ難し」です。
続く御文に「仏の滅後二千二百二十余年、月氏・漢土・日本に「一切世間多怨難信」の人なし」とあります。
一切世間とは、一部の限られた人達ではなく、あらゆる人々という意味です。
一部の人に怨まれた人はあったとしても、あらゆる人々から怨まれ、迫害された人は、大聖人以外に、いまだかつていませんでした。
最後に「日蓮なくば、仏語既に絶えなん」とご断言なされている通り、大聖人こそが法華経に説かれている、法華経の行者であることは間違いありません。
だからこそ、法華経を体現された日蓮大聖人に供養した夫妻は、6万9384の仏に守れ、必ず成仏できると仰せなのです。
私たちが日々、ご本尊様に向かって南無妙法蓮華経と唱え、世界広宣流布に向かって前進していくならば、6万9384の仏に守られないはずがありません。
創価学会もまた、幾多の迫害や非難にさらされ、多くの先輩方が悔しい思いをしてきた歴史があります。
しかし、あらゆる苦難を跳ね除けて、世界192カ国地域に妙法を広げてこれたのは、まさに創価学会が、日蓮大聖人直系の弟子として、法華経の行者たる戦いをしてきたからではありませんか。
池田先生は次のようにつづっています。
「御本仏の忍難弘通の大闘争によって、法華経の真実は証明された。その直系として難を勝ち超え、御書に示された立正安国・世界広布を実現してきた創価学会の誇りは高い。仏法の慈悲は大変な時にこそ光る。人類の危機の時代に仏勅の学会は出現した。不安と分断の闇を払い、平和と共生の地球社会を築きゆくのだ」
まとめ
私たちの戦いの中で、影で悪口を言われたり、直接文句を言われたり、時には心身にダメージを負うこともあります。
しかし、これこそが法華経の行者の証明だとの誉れも高く、どんな時も、涙を拭って前に進みたい。
さあ、大きな戦いだからこそ、大きな勇気を出すことで、私たちの正しさが浮き彫りになるとの確信で、勇んで一歩前進の挑戦をして参りましょう。